interview
聞きたい
【小原玲の伝言3▶︎】
芸能写真に嫌気、戦場のカメラマンに
2022.03.07
友達にカメラを向けるのが大好き。写真の原点だった。報道写真家となり、ファインダー越しに多くの死を見てきた。写真が嫌いになったとき、アザラシの赤ちゃんに出会った。動物写真家として生まれ変わった。2021年11月。モモンガを撮るために出掛けた網走で倒れた。小原玲は最期まで写真家だった。
―1980年代、写真週刊誌「フライデー」は絶頂期を迎える。そんな中、「エース」と呼ばれた男がなぜ、会社を去ることになったのか。
「写真ジャーナリズムが変わってしまったんですね。社会派の写真より、芸能人のスキャンダルとかラーメン特集が主流になってしまいました。芸能人のマンションの近くで、何日も張り込む日が続いた。『俺は何でこんなことをしているんだろう』って情けなくなった。決定打となったのがビートたけしとたけし軍団による、フライデー襲撃事件。人の嫌がる写真を撮る、ゲスな連中と思われるようになってしまった」
―そこで、活動を世界に向けたわけですか。
「ちょうどフィリピンでクーデターが起き、取材させてほしいと願い出たが断られて。その場で、社名の入った腕章を置いた。米国の通信社と契約し、『戦場のカメラマン』になりました。もともとベトナム戦争時代の写真家に憧れ、報道写真を志したわけだから」
―湾岸戦争、天安門事件、ソマリア内戦と危険と隣り合わせでシャッターを切った。
「フリーランスは結果、いい写真を撮らないと生きていけない。事件の匂いを嗅ぐと、できるだけ早く現地に入るようにした。天安門ではバリケードの内側に入り、1カ月間、学生たちと夜通し語り合った」
―天安門広場で戦車の前で手を繋ぐ学生たちの写真は米国の写真誌「Life」の「ザ・ベスト・オブ・ライフ」に選ばれた。
「彼らは民主主義、報道の自由、非暴力の3つのスローガンを掲げていた。あの写真は仲間が暴走して戦車に向かうのを食い止めるために手を繋いだ姿だった。だが、掲載された紙面では学生を襲う戦車という構図にされた。編集者の思惑で事実が歪められたことに怒りと悲しみを覚えた」
小原玲(おはら・れい)1961年2月
東京都生まれ。前橋高-茨城大人文学部卒。フライデーの専属カメラマンからフリーになり、報道写真家として活躍する。動物写真家に転じ、アザラシの赤ちゃんなどの写真集を多数出版。2021年11月、死去。享年60歳。
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