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【小原玲の伝言2▶︎】
写真への情熱 だれにも負けなかった

2022.03.06

【小原玲の伝言2▶︎】
写真への情熱 だれにも負けなかった

友達にカメラを向けるのが大好き。写真の原点だった。報道写真家となり、ファインダー越しに多くの死を見てきた。写真が嫌いになったとき、アザラシの赤ちゃんに出会った。動物写真家として生まれ変わった。2021年11月。モモンガを撮るために出掛けた網走で倒れた。小原玲は最期まで写真家だった。

―高校、大学とカメラは独学でしたね。

「身近に“師匠”がいなかったのは幸運だった。図書館に通い、『写』の付く本を片っ端から読み漁った。どうすれば写真家になれるか学び、写真家になってからもどうあるべきか、自分で考えることができた」

 ―念願の報道写真家になりました。

「新聞社や通信社に入ろうとしたわけですが、だいたい最終面接で落とされてしまった。余計なことをしゃべってしまったから(笑)。そうしていたら、フライデーの専属カメラマンが事務所を構え、サブを募集していて、うまくもぐり込むことができた。これも幸運でした。フライデーの編集部員だったら年功序列でペーペーはいい現場に行けないけど、うちは人数少ないからどこにでも行けた」

 ―田中角栄元首相の病室やロス疑惑事件の容疑者逮捕の瞬間、御巣鷹山で墜落した日航機の生存者救出…。数々のスクープをものにします。

「写真を撮りたい、という気持ちはだれにも負けなかった。だから、撮れたんです。田中角栄さんの病院では思いがけない再会を果たしました。高校時代にグランプリをもらった写真のモデル、アダルト雑誌を見ていたT君です。彼は大学卒業後、小渕恵三元首相の秘書となっていて、運転手をしていました」

 ―秘密情報は聞き出せた?

「もちろん『病室を教えてくれ』と迫ったけど、『マスコミの人とは口を聞いてはいけないと先生に言われている』と完全に黙秘されました。少しぐらいヒントをくれてもいいのにね(笑)。運よく病室のめどが付き、1カ月粘って点滴を打っている姿を撮りました。光の関係で1日に10秒くらいしかシャッターチャンスがなかった。運もよかった」

スクープ写真3
スクープ写真2
スクープ写真1

小原玲(おはら・れい)1961年2月

東京都生まれ。前橋高-茨城大人文学部卒。フライデーの専属カメラマンからフリーになり、報道写真家として活躍する。動物写真家に転じ、アザラシの赤ちゃんなどの写真集を多数出版。2021年11月、死去。享年60歳。