interview
聞きたい
【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶63】
総集編・高校2年春
2023.05.21
伝説のOBから訓話受ける
高校2年になり、かわいい後輩、新入部員が入ってきました。
野球部の最近の好成績が影響したのか、16人もの大量入部。県大会優勝の桂萱中も3人いました。また、中学時代に野球部に所属していなかった選手も野球部の門を叩いてきました。
昭和高校球児物語の筆者、川北茂樹が務めていたスコアラーは前橋一中出身の橋爪康之にバトンタッチしました。橋爪は川北たちと同じ歳であり、後にマネージャーに転向します。川北は試合に出ないときは主に1塁コーチャーズボックスに立つことになりました。
昨秋の県大会優勝校であり、それでいて絶対的な強さを感じさせない前橋高。「格好の自信付け相手」と思われたのか、春季大会を前に続々と練習試合が組まれたそうです。
栃木県の強豪校、足利学園高(現白鴎大足利高)とは前橋中学時代、甲子園に出場した丸橋仁さんのご縁でよく練習試合をしました。足利学園高の野球部にかかわっていたようです。
完全試合より前に球史に「前橋」の名を残した伝説の試合がありました。1926(大正15)年、夏の甲子園。準決勝に進んだ前橋中は静岡中と対戦、延長19回の死闘を演じました。それまでの大会記録(延長16回)を大きく塗り替える試合で、丸橋さんはエースとして1人でマウンドを守りました。
丸橋さんはこのとき70歳近く。孫のような後輩の前橋高ナインに、白球にかける純粋な思いを語ってくれたそうです。
ベスト16で敗退 さあ夏へ
春季県大会が始まり、第1シードの前橋高はベスト16に進出しました。対するは前橋育英高。西武ライオンズのエースに成長した高橋光成を擁し全国制覇した強豪校になりましたが、当時は発展途上の段階。それでも、有力選手が集められ、侮れない実力校の一つでした。
案の定、エース、小出昌彦の鬼気迫る力投も空しく、あっけなく敗退してしまいます。
夏の大会はノーシードで迎えることになりました。それでも、「夏に向けて万全の準備期間が取れた」とナインは前向きに捉えました。
春季大会を制しながら、エースと主砲がけがに苦しみ、実力を発揮できないまま終わった1年前を想い出し、「甲子園は届かない夢ではない」と意識を高めます。
監督やコーチ、顧問も目線は一緒でした。夏に向けた練習は質、量ともにうなりを上げて濃密になっていきます。
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