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【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶72】
高校3年夏―4

2023.06.14

【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶72】
高校3年夏―4

抽選会 主将同士の絆感じる

6月末に夏の大会の抽選会があった。戸部正行先生と県庁に向かった。午前に降っていた雨が上がり蒸し暑かった。

言うまでもなくマエタカは第2シード。トーナメント表上での位置は決まっている。キリタカの主将、和田真作が黒いゴム長靴に黒いこうもり傘で来ていた。しかも学生ズボンをゴム長靴に入れていた。

川北はファッション的にチーム内ではいじられ役なのだが、ここぞとばかりに和田のゴム長靴とこうもり傘をいじり倒しながら全体の抽選の結果を待った。

このころには各校の主将とも多少の馴染みもできており若干の雑談も交わした。いよいよという高ぶりは意外になく、彼らとの会話に、この1年間を各校の主将として過ごしてきた一定の仲間感、同志感を抱いていた。そして最後に和田と握手をして別れた。「じゃあ、またな。」「おう。またな。」と。

▲桐生高ナインの先頭に立って行進する和田主将

うまさと狡さの境目

7月に入り、高校3年1学期のクラス行事、「ホームルーム合宿」というものがあった。クラス単位で合宿研修施設で宿泊し、討論会やレクリエーションを行うものだ。

高校生なのでもちろん酒を酌み交わしはしなかったが、いわば酒なしの酒の酌み交わしを企図したものと言っていいだろう。

クラスメイトは土曜の昼から楽し気に赤城山麓の公共合宿施設「赤城青年の家」に向かって行った。川北と田口淳彦は野球部の練習後に顧問の先生の自家用車で向かった。

夕食時間ギリギリに間に合い、夜のグループ討論には参加した。ただ何を議論したかまったく記憶にはない。議論中やその後、夜中過ぎまでの雑談が楽しかった。

▲楽しかったクラスメイトとの合宿

翌朝早くに戸部正行先生に自家用車で迎えに来てもらい、そのまま栃木県の足利学園高校(現白鴎大足利高校)に向かうことになっていたので「早く寝なきゃ」と思いながらも楽しくて寝付けなかった。

翌朝、寝不足の最悪の体調で足利へ向かった。向かう車の中で爆睡していた。太陽の光がギラギラと照り付ける足利学園野球部グラウンドへ到着。

日陰のまったくない広大で整備されたグラウンド。響き渡る足利学園部員の元気な声。頭も体も重たくて溜息しか出なかった。予定はダブルヘッダーの練習試合。想像するだけで下っ腹が痛くなった。

この試合の展開、勝敗の記憶はほとんどない。記録を見ると連敗している。寝不足と照りつける太陽光線にやられてフラフラだった。

記憶にあるのは、試合中にショートの堺晃彦がわざとフライを弾ませて捕球、いわゆる頭脳的な故意落球プレーをしたが、その送球を受けた川北が何をどうしたらよいのか棒立ちになってしまい、相手に得点を許してしまった。

「何をやってるか!」

「馬鹿野郎!せっかく…」

自軍からは叱責され、相手側からはばかにされる。

「対応できないプレーしてどうする!」

「はっ、はっー、似合わないプレーするからさ」

散々だった。今でもこの時のことを思い出すと、とてつもなく恥ずかしい。

暑さにフラフラだったことに加え、うまさと狡さの境目を曖昧にしていた川北は勝手に故意落球プレーを狡さ側に括っていた。なので「やるはずのないプレー」として普段からまったく対応を想定していなかったのである。客観的なルールに感情で勝手に線を引いていたことは大いに反省せざるを得なかった。

腰痛悪化 迫る受験戦争

大会が迫る中、ここへきて疲れが溜まってきていていたのも一方の事実だった。川北は高1冬に痛めた腰がズシリと重く痛む時があった。個人ノックの後半では守備姿勢を取るのも困難だった。

戸部先生に相談し、鍼灸医に連れて行ってもらった。テレビなどでは見たことはあったが鍼を打つのは初めてである。診察台にうつ伏せになった。鍼を打つガイドの細いパイプを腰に当てられただけでビクッとし、先生に笑われた。

「力を抜いてね~。筋肉を緩めないと」

注意されたものの鍼をツンツンとされるたびにビクッと筋肉を締めてしまう。注意され続けて必死に努力したが、やはりビクッとしてしまう。

「あー、君は鍼はダメだねえ。敏感な人ってやっぱりいて、そういう人には針は向かないんだよ」

「はあ…」

「筋肉を瞬間的にギュッと締めてしまうと、入った鍼の先が小さく折れて中に残ってしまって危険なんだよね。体の中に入って血管を遡りかねないので」

現在は折れない柔らかい鍼が使われ、こんなことはないようだが、この時は結局、鍼灸医での治療は諦めて整形外科へ行き、痛み止めの注射を打ってもらった。大会に向けては、試合日程に合わせて前日に打ってもらうことにした。少し痛い注射だった。

▲高校3年。同級生は受験戦争に突入していた

7月初旬に一つの選択葛藤があった。

夏休み中の予備校の夏期講習の申し込みである。来年春の大学受験へ向け、川北は野球終了後からは受験モードへのシフトチェンジを覚悟していたし、できれば東京の有名な駿台予備校にカンヅメとなってここまでの遅れを挽回したいと思っていた。

幸いにして姉が東京の大学生であり、夏期講習期間に姉の下宿先での寝泊まりも可能だったのだ。ただ勝ち進んで、もし甲子園出場ともなればその申し込みはパーになる。確か受講者側の勝手な理由でのキャンセルは返金されない仕組みだった。

一方、まさに後のない必勝の覚悟で最後の大会に臨むにあたり、負けを前提にした予定をしていることは負けを誘発することにならないか。特に自分は主将ではないか。みなに対する裏切りにならないか。ここは結構悩んだ。正解などない悩みだった。

結局、両親に申込金が無駄になる可能性を話して納得してもらい、周囲には夏期講習の件を一切漏らさないことを決意して申し込んだ。孤独な受験戦争への第一歩をこの時に踏み出した実感があった。