interview
聞きたい
【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶66】
総集編・選抜甲子園・上
2023.05.27
桐生高の勝利が大きな勇気に
1978(昭和53)年3月27日、甲子園に松崎しげるさんの『愛のメモリー』のマーチ編曲が響き渡り、入場行進が始まりました。
「空は曇り気味、微風が心地よい日であった。入場行進時、スパイクがグラウンドにサクサクと刺さった感触が足裏に残っている」。川北茂樹は「昭和高校球児物語」で入場行進をこう振り返っています。
宿命のライバル、桐生高は大会初日、プロで活躍した石嶺和彦率いる豊見城高と対戦、3-1で初戦を突破しました。大きな勇気をもらいました。
3日後の30日、いよいよ初戦を迎えます。相手は滋賀県代表の比叡山高。滋賀県勢との因縁の戦いの始まりでした。
試合は松本稔、吉本義行の両エースの好投でテンポよく進みます。松本のこの試合、最初の投球はいつものドロンとしたカーブでなく、切れのいいストレート。川北は「おっ、松本、調子いいじゃん」と感じたそうです。
一方、比叡山高の吉本は当時の高校生では珍しいフォークを決め球にしていました。好機に三振を喫した松本は「あんな球、見たことなかった」と後に驚いたように語っています。
試合が動いたのは4回裏。無死1、2塁の場面で5番、佐久間秀人はバントの構えから一転、バスターヒッティング。バントシフトで前進していた3塁手のグローブに当たり、センター前へ弾かれます。2塁走者の相澤雄司は躊躇なくホームを駆け抜け、値千金の1点が入りました。
校歌斉唱、「人生最高の瞬間」
援護はこの1点だけでしたが、松本は淡々と投げ続けます。ストライクを先行させ、打たせて取ります。野手にもいいリズムが生まれ、軽快にさばいていきます。特に、2塁手の田口淳彦は打ち損じた難しい打球を丁寧に処理しました。
気が付けば9回。7番、8番を打ち取り、27人目の打者は初めての左打者となる代打でした。1回、2回、空を見上げて冷静さを保つ松本が投じた78球目。果敢に打った打球は松本へのゴロ。1塁、佐久間にゆっくり投じてゲームセット。
夢の甲子園での1勝を史上初の快挙となる完全試合という大きなおまけ付きで達成しました。
「赤城颪に送られて…」。校歌斉唱、アルプススタンドへの挨拶。「人生最高の瞬間」だったのは川北だけではなかったでしょう。
試合後は大勢の観客が詰めかける中、走ってバスに乗り込み、引き揚げました。この日の夜、テレビはスポーツ番組やニュースだけでなく、歌番組でも完全試合が取り上げられるほどでした。
松本をはじめナインは普通の高校生、野球部員から一気に時の人となりました。
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