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聞きたい

【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎51】
選抜甲子園-7

2023.04.25

【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎51】
選抜甲子園-7

異様な雰囲気の中 福井商戦へ

4月3日。次戦、3回戦の朝。前夜のミーティングで田中不二夫監督が言った「もう一回、やってやろうじゃねーか」を思い出すとクスリと笑ってしまいそうであった。

朝食後、また女将さんの「勝っていただかなければなりません」を正座して正面から受け止めて試合に向かった。一応、敗戦時のことを考えて荷物の整理もした。

相手は北陸の名門、福井商業高校。特集雑誌などで大会最高打率の選手が紹介されているような高い得点力を持ち、投手は下手投げの軟投派で、しぶとい試合巧者と評されていた。この日は生憎の春の雨模様で肌寒く、福井商業高校に有利だったかもしれない。

2戦目はベンチも3塁側と初戦とは異なっていたが、何よりも観客の数がまったく異なっていた。時折雨のぱらつくなか、完全試合の松本稔、完全試合のマエタカってどうなのかを見に来た観客で席は埋まり、期待のザワザワ感で球場内の空間が満たされていたのだ。

▲淡々と投げ込む松本。自責点は4点だった

1回表、ザワザワ感の中で試合が始まった。福井商業高校の攻撃。相手打者も異様な球場の雰囲気にのまれているようだった。何とか三者凡退。言いようのない溜息が球場内に満ちた。

マエタカの攻撃も同様に進んだ。三者凡退。

2回表。息をのむ空気感は限界に達しつつあった。初回の三者凡退で「え、また…」的な観客の思いの共有があったからだろう。普通に考えれば2試合連続完全試合など当然ありえないことなのに。

ワンアウト後、福井商業5番の左打者の打球、ジャストミートではなかったが松本の足元を抜け、堺晃彦と田口淳彦の間も抜けていった。センター前ヒット。

打球が二遊間を抜けた瞬間球場中が、「ああっ~!」と揺れた。インフィールドを取り囲む高い壁から一斉にどよめきが降ってきたのだ。地面が波打つくらいの波動を感じた。これがマエタカが甲子園で最初に打たれたヒットとなった。

内野陣にエラー続出 大量失点

そこからの詳細はあまり記憶にない。録画を見直してないからかもしれない。

▲バッテリーを落ち着かせようとベンチに呼ぶ田中監督

▲平常心を失ったナインを鼓舞する

ただこの2回にヒットと内野のエラーが重なり7点を献上。3回にも同様に3点を失い、試合前半で〇対10と趨勢はほぼ決してしまっていた。

もちろん、一矢報いるべく福井商業の下手投げ投手の球に集中し、守備の時には松本の投じる球に、打者の打球に意識を集中した。

しかし、どこかに「決して何かが悪いわけではない。何時もの練習通り、快打もあれば凡打もあり、好守もあればエラーもある。何時も通りなのにこの結果の偏りは何なんだ」の思いがあった。

中盤に初めてサードゴロが来た。ボテボテの当たりと雨で湿ったグラウンド。ゴロはグローブに収まらずに足元に転がった。

「あーっ!」

また落胆の叫びが降ってきた。なぜゴロがグローブに入らないのかわけが分からなかった。恐らくハーフバウンドで捕りにいったのだろう

素晴らしき松本の精神力

それでも中盤から終盤へ得点されずに〇対10のまま推移した。これは松本の精神力の賜物だといまでも思う。

「何がどうなろうが、自分が最初から最後まで投げ切らなければならない」。この覚悟と責任感。これが彼にとっての「いつも通り」の意地でもあったろう。この試合で安打は打たれたが四死球はゼロでもあった。見事という他はない。

野球経験者であれば完全試合もさることながら、この前半で大量得点された試合を最後まで無四球で投げ切り、中盤以降を抑えていることのすごさを分かってもらえると思う。ゴルフで例えれば、前半2ホールを大たたきしただけであとはパーなのだ。

▲懸命に応援するアルプススタンド

川北は終盤、無心ではなかった。みなには本当に申し訳ないが「早く終わって帰りたい」と思っていた。パラつく雨の中、変わらず必死の応援をしてくれているアルプス席にも本当に申し訳ないと思った。

こっそり守備中にサード守備位置の砂をとり、右後ろのポケットに入れた。ふと振り返った際に3塁審判と目が合ったが、気遣いからかすっと目線を逸らしてくれた。

「エラーは仕方ないが、ダブルエラーはするな」はマエタカ野球部の不文律の一つだったが、9回表、川北はゴロを弾き、投げても間に合わないのに焦って一塁へ暴投。ダブルエラーを犯した。このプレーを含めてこの回4点を失い〇対14。力尽きた。ユニフォームが雨で重く冷たかった。

▲敗戦。ベンチ前で甲子園の土を掘る

試合終了。終了挨拶、福井商業の校歌を聞き届ける。アルプス席へ挨拶。ベンチ前の砂をスパイク袋に詰めた。

相澤雄司が左打席の砂を取ろうとして審判に止められているのを虚ろに眺めていた。

報道陣から何を聞かれても、「いつものようにプレーしたが、打球がグローブに入ってくれなかった。松本は本当に良く投げた」と繰り返し答えた。

▲試合後のインタビューも淡々と

2回目の修学旅行は傷心旅行

弛緩したまま宿に帰った。ほわッとしていた。夕食時に田中不二夫監督が話し掛けた。

「どうだ、みんな。このまま帰っても…と思うから、明日、京都でも寄って泊ってから帰らないか?カワキタどうだ?」

思いもかけない提案で、それなりにお金もかかるであろう大事なことを、よいのかと思いつつ、 「はあ。良いですね。」と答えた。

「そうだろう、そうだろう。よし!」と決まった。正直、監督たちが行きたいんじゃあないのかと思ったが。

後で知ったが、県内一の伝統ある進学校の30年ぶりの甲子園であり、夏とも違い決定から大会までの期間も充分にあるので、各界から集まった寄付額は半端ではなかったらしい。この時の寄付の残額で数年後に移転したマエタカの新施設の諸々が建てられたとも聞いた。真偽は定かではないが。

また、これも後に聞いた話だが、惨敗後の部員に何をどうしてやったものか監督も先生も分からなかったらしい。何か緩めて包み込むものを探っていたようだ。

そんなことで、翌日は2度目の修学旅行になった。チャーターバスで金閣寺や渡月橋、清水寺に行った。清水寺では修学旅行時に田中監督からお土産購入を指定された漬物屋を川北が案内した。

また、マエタカファンだという女子学生数人がタクシーをチャーターしてついてきていた。最初のうちは遠巻きであり、こちらも対応が分からずの距離感だったが、これを田中監督が話しかけ、部員の寄せ書きサインをしてあげて渡したような記憶がある。なんとも和やかでのどかな滞在であった。

▲ナインのサイン。女子学生に

天国と地獄がセットに

こうして選抜甲子園は終わった。悲願の勝利と校歌。おまけの甲子園史上初の完全試合。数日後の〇対14の惨敗。天国と地獄がセットであったことで、ものすごく高揚することも激しく落ち込むこともなかった。

むしろ事実として消化し切れていなかった方が正確だったかもしれない。ただ、少なくとも完全試合の大幸運は惨めな大惨敗で帳消しになっていた。

「借りを返しに甲子園に帰ってこないと」的なコメントが表向き出ることもあったが、一方で過酷な夏を勝ち抜いて自分たちが甲子園に出ることはなかなか想像できなかった。

春や秋には勝ち抜いた経験があったが、夏を勝ち抜くイメージが分からなかったのだ。それに加えて、若干の燃え尽き感もあったのである。

この甲子園大会、キリタカはベスト4。優勝した浜松商業高校に敗れたが、内容では押していたとの評価であり、その後は夏の全国制覇を目指すとの話であった。

木暮洋はそのルックスを含めて全国ナンバーワン左腕となり、阿久沢毅はあの王貞治選手以来の2試合連続本塁打を甲子園で放ち、これまた全国ナンバーワン左打者になったのだった。ピンクレディーのヒット曲『サウスポー』は木暮のテーマに、『モンスター』は阿久沢のテーマとなった。

そして、マエタカに勝利した福井商業はその後トントンと決勝まで勝ち進み準優勝したのであった。

かわきた・しげき

1960(昭和35)年、神奈川県生まれ。3歳の時に父親の転勤により群馬県前橋市へ転居する。群馬大附属中-前橋高―慶応大。1978(昭和53)年、前橋高野球部主将として第50回選抜高校野球大会に出場、完全試合を達成する。リクルートに入社、就業部門ごとMBOで独立、ザイマックスとなる。同社取締役。長男は人気お笑いコンビ「真空ジェシカ」の川北茂澄さん。