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【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶58】
高校3年春-7
2023.05.11
3日で4連投 力尽きた松本
先制されたキリタカはしぶとく反撃してくる。5回裏、2死から1番の清水貴彦、2番の原沢芳隆と連続ヒット。マエタカ外野のミスも重なって2塁、3塁となり、迎えるバッターは3番、強打者の阿久沢毅。阿久沢の打球は松本稔の足元を抜けたがショート、堺晃彦が好捕、ショートゴロとしてことなきをえた。
続く6回裏、キリタカの攻撃。先頭バッターは左打席に4番、木暮洋。カウント3ボール1ストライクからの5球目。松本が投じたカーブがほんの少し甘く入ったのを見逃さなかった。
シャープなフルスイング。快音。フェンスによじ登る勢いで追いかけたライト相澤雄司の頭上、打球はライトスタンド中段に飛び込んだ。同点ホームラン。
「あ~あ、甘かったなあ~」と微笑みながらライトスタンドを見る松本。颯爽とカモシカのように2塁、3塁と駆け抜けていく木暮の「俺は負けないぞ」と意志を感じさせるランニングフォーム。
この時、左目が腫れあがって狭くなりゆく視界の中で、川北は2人の姿をサードの守備位置で見ていた。
1対1の同点で試合は終盤勝負となった。マエタカも負けていない。相澤が後に本人いわく「どうせ当たらないから、目をつぶって振ったんだよ」と放った右中間を切り裂く打球。打球音が響き渡る痛烈な当たり。
相澤は2塁を回る前に自分で判断して2塁を蹴った。サードランナーコーチの2年生、勝山均はストップのゼスチャー。微妙なタイミング。好送球が送られ寸前タッチアウト。残念なチャンスを逃した。
スクイズ失敗 勝ち越し逸す
同点のまま最終回へ。先攻マエタカの攻撃。先頭の2番、堺晃彦がライト前ヒット。相澤は三振に倒れるもその際に堺は二盗。この試合、キリタカのキャッチャー、間弓実は送球イップス的な症状もみせており、堺は難なくセーフ。
さあ、4番、松本となったが、ここは歩かされて、1死1塁2塁。5番、佐久間秀人はサードゴロ。キリタカのサード、この試合は島田清が不調だったのか、2年生の大武光生だったが、ゴロを弾いて満塁に。マエタカ絶好のチャンスを迎えた。
1死満塁、ランナーは堺、松本、佐久間。バッターは6番、高野昇。4回表の先制時とアウトカウントもランナー面子も、バッターまでも一緒だった。
高野は4回にはスクイズを決め、その後はライトゴロになったとはいえ木暮洋の球を捕えていた。1球1球、互いを探りあう緊迫した場面。カウントは2ボール2ストライクとなった。
ここでスリーバントスクイズ! 高野はまたも落ち着いてピッチャー前に転がしたが若干弾きが強かった。木暮がダッシュして倒れ込みながら本塁へトス。3塁ランナー、堺はスタートが遅れたように見え、突入するもアウトとなった。
その後、7番、石井彰も打ち取られ、マエタカ乾坤一擲のチャンスが潰えた。
この時のスクイズサインについて田中不二夫監督は取材に対して「3塁ランナーのサイン見落とし」と言っていた。
一方、堺は「サインは取り消されていた」との認識。川北は例によってサインを見ないようにしていたので自分の目では確認できていない。サインを見ていたメンバーからは「何度も何度も取り消しのサインがあって、最後にスクイズサインだったと思うが…」。いずれにしても際どい肝心な場面で意思疎通を欠いてしまっていたのである。
この件はその後、チーム内で確認されることはなかった。若干の後味の悪さはあったが、すでに終わったことである。結果は変わりようがないのだ。チーム全体が二度とこんなことは起こさないぞという決意共感があった。だからこそ安易に確認されることはなかったのである。
まさかの押し出し四球
一方、決定的なピンチを脱したキリタカは9回裏の攻撃に意気込んできた。松本はランナーに出ていたままチェンジとなって登ったマウンド。得点できなかった気落ち要素が若干あっただろうか。
先頭の6番、間弓に右中間へ2塁打を運ばれた。比較的地味で控えめに見えていた間弓が2塁上で感情を昂らせていた。
続いては主将の和田真作。調子を落としていたのか上位を打っていた彼が7番だった。送りバントもあるかと思ったが強攻でライトフライ。
8番のセカンド、守備職人の柴田敦がしぶとくセンター前へ。2塁ランナーの間弓の走力から本塁へ突入する無茶はしてこなかった。
1塁、3塁。バッターは9番、大武。ここで松本が死球を与えてしまった。一死満塁。明らかに松本に疲労が襲い掛かっていた。
セットしてからの投球リズムが一定になっていた。川北は3塁ランナーを牽制するためにベースにつき、一球ごとに松本に大声で声を掛け続けていた。間を取るために牽制を投げて来いとのゼスチャーもした。
しかし、セットポジションをとって3塁と正対している松本の視界には入っていても、疲労困憊の彼には「見えて」はいなかったのだろう。誰が彼を責められよう。彼のおかげでここまできていたのだ。
次打者、1番の清水貴彦にストレートの四球で押し出し。万事休す、激闘の幕は下りた。1対2。またもキリタカに敗れた。
閉会式その他は記憶にない。応援団のバスに同乗して学校に帰ったはずだ。その車中でバスの横をバイクで走る応援団員がおり、車中の団員が、「運転手さ~ん、幅寄せして、幅寄せ~」と冗談を言っていたことを記憶している。
夕刻に学校帰着、解散前に集合となった。そしてここで、監督及びOBから激しく叱責された。何のために戦ったのかとか、夏は1県1校でキリタカに勝たなければ甲子園に借りを返しに行けない…的な叱責だったと記憶している。
恐らく初めてキリタカに勝てたであろう試合展開を今後に生かすための叱責だったのだろう。あと一歩であるからこその。
ただ、疲労困憊の部員にはこの時の叱責はあまり響かなかった。むしろ秋季、春季と連続して群馬県大会準優勝、関東大会準優勝という自分たちの身の丈に余る結果を出しているのに何ゆえ怒られるのか、であった。
さらに言えば、「甲子園での天国と地獄からよくここまで盛り返せた。自分たちを褒めたい…」が部員たちの実感でもあったのだった。