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聞きたい

【聞きたい 遠山昌子さん▶1】宝塚が幸せだったから
前向きに退団を決めた

2023.05.11

【聞きたい 遠山昌子さん▶1】宝塚が幸せだったから 
前向きに退団を決めた

創業130年「赤城フーズ」の6代目を継ぐ遠山昌子さん。かつてはタカラジェンヌだった。宝塚歌劇団を退団して家業に入ると決めた決意、当初の苦労談を聞きました。

うちの会社が無くなってしまう、心に穴

―なぜタカラジェンヌを目指したのですか?

「ベルサイユのばら」を見て宝塚ファンになり、群馬出身の紫吹淳さんに憧れました。中学3年から高校3年まで4年連続で宝塚音楽学校を受験して、最後の年に念願叶って合格できました。東京までレッスンに通わせてもらったり、精神的に支えてくれたり、家族の応援があってこそだなあと。

―宙組の男役、遥海おおらとして活躍されました。

身長は168㌢で、当時の宙組男役では小さい方から2、3番目。でも、歌の成績が良かったので、歌で役をいただけるようになり、5年目には念願の公演にも出られて…。充実していました。入団してもとにかく宝塚が大好きで、ずっとここにいるぞと思っていたんです。

―その最中、家業に入ることになったのですね。

祖父の体調が悪くなりまして。兄二人は別の道を選んでいて、会社の行く末をとても心配した祖父を、安心させてあげたいと。それに、このままでは「うちの会社が無くなってしまう」「幼いときから食べていたカリカリ梅が二度と食べられなくなる」、そう思ったら体の一部にぽっかり穴が開くような気持ちになって。宝塚で、こんなに幸せな日々を送れているのは家族のお陰。今度は恩返しの番だと前向きな気持ちで退団し、家業に入りました。

▲前橋市上大島町にある「赤城フーズ」の直販店

仕事をしながら大学の経営コースに

―とはいえ、当初は大変なことも多かったでしょう。

社員さんからしたら、「歌ったり踊ったりしか知らない子が何しに来た?」って感じだったかと。最初のうちは社内の人とどう距離感を詰めていったらいいかがわかりませんでした。社長の父に意見をすべきだと思ってすることも周りからはただの家族喧嘩に見えてしまう。お互いに遠慮が少ない分、社内での関係性の見せ方が難しいなあっていうのは感じていました。

―ほかには?

気持ち一つで家業に入ったので実力も知識もなくて。社会人経験もないし、企業のきの字も知らないので、正解がわからない。うちの会社は何が正しくて、何が間違っているのか。比較対象がないからわからなくて。これが世の当たり前なのか、赤城フーズ独自のものなのか、直していいものなのか、ダメなのか。

―それでどうしたのですか?

産業能率大の通信教育課程で経営コースがあることを知って、これだ!と。宝塚って学歴にならないので、四大の1年生から入って、仕事をしながら4年間学びました。卒業後、学んだことをどう会社に落とし込んだらいいのか困っていた時、中小企業家同友会というのがあるのを知って、そこに入って指針作りや社員教育など、先輩経営者の方々から教えていただいて、そこで経営者としてスタートを切れたと感じています。

 

▲前橋新聞me bu ku 第8号では町田酒造店の杜氏、町田恵美さん(写真右)と対談

とおやま・まさこ

1979年、前橋市生まれ。群馬大附属中―前橋女子高卒。宝塚音楽学校に入学。2000年、宝塚歌劇団に入団し、宙組の男役として活躍。2005年、退団し、家業の1893(明治26)年創業「赤城フーズ」に入社。2018年、39歳で6代目社長に就任。2児の母。

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