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聞きたい

【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎49】
選抜甲子園-5

2023.04.23

【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎49】
選抜甲子園-5

田中采配ずばり、鮮やか先制

試合はマエタカ、松本稔、比叡山高校、吉本義行の両エースの好投で進む。

▲アルプススタンドの応援席も一緒に戦った

4回裏、マエタカ先頭の3番、相澤雄司がセンター前ヒットで出塁した。松本にバントやエンドランはないだろうとみていたが、吉本が松本の打棒を警戒しすぎて四球。ノーアウト1塁2塁となった。

打者は5番、佐久間秀人。サインは「バントの構えで…」。案の定、比叡山はバントシフトを敷いてきた。

佐久間はバントの構えからバスターヒッティング。打球は三遊間へ。バントシフトで前進してきていた比叡山のサードが何とかしようとよく飛びついたもののグローブの先端に当たり、打球は二塁ベース方向へ転々。恐らくサードのグローブに当たらなければショートが捕球できていた。

▲均衡を破る佐久間のタイムリー

▲喜び勇んで先制のホームを踏む相澤

2塁ランナー、相澤は躊躇なくべースを蹴ってホームへひた走った。ホームイン!値千金の1点を先制できた。バントシフトの裏をかけたとはいえ、幸運が何重にも重なった得点であった。

ノーアウト1塁2塁のチャンスは続く。6番の高野昇。今度は極端なバントシフトがとれない。すかさず投前バントでワンアウト2塁3塁とした。

続く打者は7番、石井彰。ワンストライクからスクイズ。これはピッチドアウトされた。石井はバットを放り投げたが届かず、松本は3本間で憤死。ツーアウト3塁。石井はよい当たりながら内野ゴロに倒れた。さすがに比叡山もギリギリの一線を崩れずに踏ん張り続けた。

▲懸命にバットを放り投げるがわずかに届かず

淡々と松本 守備にリズム

中盤の得点でゲームが動くかと思ったが、松本は淡々と投げ込み、比叡山の凡打は続いた。全員が右打者であったことも守備対応のバリエーションが少なく済んだ。

セーフティーバントを試みてきたのも1度だけで、それもファウルとなってヘルメットに当たり、審判が「大丈夫?」と尋ねた際に打者が元気よく「大丈夫です!」と大声で答えていたことが記憶にある。

川北は途中で「もしかしてノーヒットノーラン?」と頭をよぎった。実際は完全試合が進んでいたのだが。

ただ、「そうであろうが、どうであろうが、打球を必死で止めて、思い切り佐久間に投げる」ことは変わらない。

地方大会からいつもいっぱい、いっぱいでプレーし続けてきていたので何のメンタルの変化もなかった。いつも極限まで振り切れていた緊張メーターはそれ以上あがることはなかったのである。

松本が1球投じるごとに「さあ、来い!」と叫んで左足を半歩前に出して打球に備え、打者が打たなければ「ナイスボール!」と1球ごとに松本に声を掛けた。そしてふとした際には甲子園飴の看板を見上げていた。

試合は終盤に入った。マエタカはその後、チャンスはつかむがあと一本が出なかった。川北は初回の内野安打の後はセカンドゴロ、空振りの三振、セカンドゴロだった。

その間、相手投手のフォークを見極めたり、セーフティーバントを試みたり、セカンドランナーを進めようと意識的にセカンドゴロを狙ったり、内容は濃かったのだが。

一方、比叡山打線には気後れと焦りのようなものが感じられた。前半から中盤は引っ掛けた打球が多く、川北は計5本のサードゴロを処理した。

中盤以降は右方向へおっつけて打つことを意識していたのだろう。だが、それを松本には逆手に取られ、右方向への詰まらされた打球が増えていた。セカンドの田口淳彦とライトの相澤が処理した。

▲田口の好守が光った。難しい当たりも丁寧に処理

空を見上げる松本 あと1人

そしてあっという間に9回になった。事実、試合時間は計1時間40分ほどだったはずだ。

マウンドで松本が空を見上げていた。さすがに最終回となって松本の気持ちにもさざ波が立ったのかと心配になった。

川北自身のいっぱい、いっぱいさはまったく変わらなかったが。打球が来たら止めて、つかんで、投げるだけである。1対〇。何としても勝ちたい。勝って校歌を歌いたい。自分たちの力からすれば千載一遇の機会なのだ。必死であった。

7番、8番と早打ちに助けられ、ライトフライとセカンドゴロ。ツーアウトとなった。後に見たビデオでは高校野球名物解説の池西増夫さんが自らのキャッチャー体験で、完全試合を9回ツーアウトから破られた話をされていた。

少なくとも川北は完全試合など頭の片隅にもなかった。恐らくそのときに聞かれていたら「そんなことどうでもよい。勝ちたい。みんなで勝ちたい!みんなで勝って校歌を歌いたい!」と答えていただろう。

比叡山は27人目に代打を起用してきた。初の左打者だった。川北はセーフティーバントに備えて1度大きく前進するそぶりをわざと打者に見せた。

松本がまた空を見上げた。明らかに落ち着こうとしていた。そして第1球。この試合、松本が投じた78球目。打者は初球から打ってきた。

一瞬、初回の自分の打席が頭をかすめた。芯を外れた打球はワンバウンドでピッチャーゴロ。松本がつかみ佐久間へゆっくり投じた。ゲームセット。

「勝った!勝った!勝った!」

鹿のように飛び跳ねながらホームへ向かった。頭の中は真っ白であった。

試合終了の挨拶。そして校旗掲揚、校歌斉唱。

▲「人生最高の瞬間」と川北主将

赤城おろしにおくられて

学びの窓に集まりし

健児の希望、花と咲く

不断の春の厩橋

 

人生最高の時間であった。ただ、流れる校歌、アルプススタンドで歌われる校歌、自分たちの歌う校歌と、こんなに反響してこだまのようにずれて響くものと思っていなかった。どの旋律に合わせてよいのか探り探りの場面もあり、思わず笑ってしまった。

校歌を歌っている最中にも横から撮影している報道カメラの数がどんどん増えていくのが分かった。そんなものかと思っていたが、甲子園史上初の完全試合なればこそであったようだ。

校歌を歌い終わり、「あ(りがとうございま)した!」と挨拶をして一塁側アルプス席前へ走って行く。夢の中を走っているようであった。

アルプス前で整列。知った顔がみなくしゃくしゃの笑顔で迎えてくれた。

▲目頭を押さえる田中監督(右)と真剣なまなざしの戸部正行部長

照れ屋の田中不二夫監督は試合後の応援席挨拶を比較的早く切り上げようとする。この時もいつも通り並び終えると、すぐに「じゃあ、よし」と川北に告げた。「あ(りがとうございま)した!」と叫んでみなで一礼した。

そこから松本は大変であった。報道陣、報道カメラに取り囲まれてポージングさせられていた。

▲両手を大きく天に突き出し、喜びのポーズを取らされる松本

かわきた・しげき

1960(昭和35)年、神奈川県生まれ。3歳の時に父親の転勤により群馬県前橋市へ転居する。群馬大附属中-前橋高―慶応大。1978(昭和53)年、前橋高野球部主将として第50回選抜高校野球大会に出場、完全試合を達成する。リクルートに入社、就業部門ごとMBOで独立、ザイマックスとなる。同社取締役。長男は人気お笑いコンビ「真空ジェシカ」の川北茂澄さん。