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【野村たかあきさんの思い出】
桑原高良さん追悼文

2023.11.07

【野村たかあきさんの思い出】
桑原高良さん追悼文

ユーモラスな鬼を版画や木彫で表現した野村たかあきさんが7月29日に亡くなった。享年73歳。遺言で死は四十九日が済むまで伏せられ、人気を集めた鬼カレンダーの製作などのため、さらに沈黙が守られた。野村さんと個人的に親しく交流し、新聞記者として観察してきた2人、桑原高良さんと藤井浩さんから追悼の文章を寄稿していただいた。謹んで野村さんの死を悼み、功績を多くの野村ファンと末永く共有したいと願っています。

出会って40年、いつも本気
若手記者や後輩作家と本音で

ユーモラスな鬼の彫刻や版画、ほのぼのした作風の絵本で知られる野村たかあきさんが、亡くなった。長い付き合いだった、付かず離れず、互いを意識し合って生きてきた。出会ってから四十年近くになる。笑顔のときも、怒ったときも、酔っぱらったときも、本気だった。それが「野村さん」だった。

若手記者や後輩作家とも本音でやり合うことも多く、その薫陶を受けて育った人も多い。

別れを知ったのは〝突然〟だった。猛暑の夏、生育の遅れた夏野菜を手に自宅を訪れた私を、奥様とご子息は、ためらいながらも招き入れてくれた。そこで野村さんの死を知った。8月初めのことだった。ご家族によると、葬儀が終わった直後だった。言葉も無く、ただ手を合わせることしかできなかった。

互いに七十代になり、近年、野村さんの体調を気遣う声もあったが、その都度、姿を現し、作品を提供して、そんな声を「噂さ」と一蹴させた。今回の自宅訪問も、「運が良ければ会えるかな」の思いがどこかにあった。そんな淡い期待は、現実の前にもろくも崩れ去った。

野村さんは生前、ご家族に「四十九日が済むまで、死を伏せるように」との言葉を残していたという。多彩な仕事を展開していた野村さんだけに、さまざまな思いを込め、遺された家族に配慮したものだと推察するが、これほど急に旅立つとは本人も、家族も予想していなかったのではないか。

急逝から今日まで、ご家族の心痛、混乱は計り知れない。奥様は体調を崩したこともあった。その中で、人気の鬼カレンダーを楽しみにする野村ファンの人たちや出版社、画廊などへの対応に追われる日々が続いた。四十九日を終えてもなお作業は続いたという。

私を含め野村さんの死を知る数人にとっても、心の中にその事実を封印する日が長く続いた。逝去の情報を公開することが決まったのは、ご家族による関係者への連絡がひととおり済んだ10月11日になった(新聞掲載は12日以降随時)。

▲舞台稽古を緊張気味に見つめる野村さん(2015年8月20日、桑原さん撮影)

義兄弟のようだった窪島さん
市井の人々の暮らし絵本に描く

自らの創作活動のみならず、多くの人たちとの交流にも積極的で、根強いファンを持つ野村さん。その笑顔に癒された人も多い。思い出や追悼の形も、出会いがさまざまなならば、それぞれだ。それも良し、それが野村さんなのだから。

野村さんと信濃デッサン館の生みの親、窪島誠一郎さん(無言館館主)との関係について書いておきたい。この二人は、まるで〝義兄弟〟のような交流を重ねてきた。どちらかといえば、野村さんが慕うような形に見えた。群馬における窪島館長の活動発表の場を探し、体調を崩せば親身になって看病もした。長野で行われた村山槐多を偲ぶ「槐多忌」には何度も足を運んでいた。

また、窪島さんとの縁で、中之沢美術館(前橋)で巡回展「額のない絵展」も開催され、その後の同館の企画展の基本的スタンスが確立されたとも言われる。その功績は大きい。

さらに、太鼓芸能集団「鼓童」(新潟・佐渡)の響きとメンバーの人間性に触発され、群馬の仲間に、熱く紹介したのも野村さんが先駆であった。

市井の人々、向こう三軒両隣の暮らしを絵本にした野村さん。鬼のイメージを変えた骨太の木彫に挑んだ野村さん。泥臭さと優しさ、そして危うさが混在する独特の表現を生み出してきた野村さん。あなたの愛した古里・前橋では、芸術文化や地域の財産を核にした街づくりが進められています。かつてのヒーローのように「疾風のように現れて」、あなたの本音で、そんな現状について語ってほしいと思っています。

▲『くじらのなみだ』など野村さんの作品

のむら・たかあき 1949年、前橋市生まれ。15歳から木彫を始め、自宅隣の木彫・木版画工房「でくの房」で創作にあたった。鬼を題材にした版画や木彫を数多く手がけた。絵本の制作にも取り組み、1990年、『おじいちゃんのまち』で第13回絵本にっぽん賞を受賞した。

くわばら・たかよし 

1950年生まれ。74年に上毛新聞入社。出版局を経て編集局へ。文化部キャップ・デスク、前橋支局長、藤岡支局長、文化生活部長、編集局次長、太田支社長などを歴任。季刊文化情報誌『上州風』初代編集長。2011年から現在まで中央カレッジグループ学園新聞編集長。群馬ペンクラブ理事、群馬県文学会議副会長、奈良市観光大使。NHK文化センター前橋や前橋文学館友の会で随筆講座を指導。