interview
聞きたい
【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎40】
高校2年冬-1
2023.04.13
現実味帯びる甲子園出場
関東大会終了後から時間が経つにつれ、翌春の選抜甲子園が日々刻々と現実味を帯びるようになってきた。実際の公式出場確定は翌年2月1日の会議結果を待たなければならないのだが、スポーツ新聞や雑誌はもう決まったような扱いであった。
おおむねの予想は東京以外の関東枠は印旛高校、前橋高校、桐生高校が内定であり、枠が4校になれば川口工業高校も、となっていた。そうなると群馬県から初めて2校出場の快挙となる。地元の上毛新聞は大騒ぎであった。
春の選抜甲子園は毎日新聞社が共催であり、田中不二夫監督からはこんなことを言われた。
「みんな、家で上毛新聞と毎日新聞を取ってもらいなさい。これから取材も多くなるし、扱いも増えるだろうから。それと、まあ、選抜甲子園は選ばれる必要があるので、もしかすると…。まあ、そういうこともあるだろうから」
暗に、出場候補校の野球部員の家で毎日新聞を取っているかどうかが選考時の資料に加味されないとは言えない的な言い回しだった。当時は、ふ~んと思いながら大人の世界を垣間見た気になった。笑い話だと思っているが、実際のところは分からない。
手造りで練習用ビニールハウス
11月末だったろうか、比較的近くにあり、たまに練習試合をしていた勢多農林高校(セタノウ)の野球部監督が来校した。選抜甲子園に向けた練習用に農業用の大型ビニールハウスを野球部関係者の手で設営することになり、その指導のためである。マエタカ側からのお願いであったのか、セタノウ側からの申し出だったのかは分からない。
北風が半端なく強く、シンシンと染みる寒さも含め、冬場の実戦練習には難のある群馬県の環境を何とかしようとひねり出した対策であった。
校庭グラウンドの東寄り、1塁側にあった投球練習用ブルペンスペースを丸ごとビニールハウスで覆うような設計であった。
流石にセタノウの監督は普段から学生に指導しているのか説明が非常に分かりやすくテキパキしていた。2日間で仕上がったと記憶している。
天井高は2㍍くらいであったろうか。キャッチボールやピッチング練習も十分でき、中でティーバッティングも複数カ所で行える。
気温が高いときは部分的にビニールを下げたりも出来てフレキシブル。注意点は乾燥しやすいので適度に中の水撒きが必要なことであった。作物同様に実力が育まれればと思わずにはいられなかった。
部員の手でしっかり造れたと思っていたが、超空っ風の際に部分的にパイプが外れてハウスがたわんだことが一度あった。
その時に補強修正して、その後は風も雪も雨も大丈夫だった。雪、雨の際には周囲に掘った排水堀が大活躍していた。上出来と言えよう。セタノウ監督のご指導の賜物でもあった。
オフシーズン入り直前に、県の高野連の指導で冬場のトレーニングメニューのレクチャー会があった。県内全校出席ではなかったと思うが、前橋の県営敷島球場横のオープントラック広場で行われた。
川北が参加し、この時にレクチャーされたメニューをマエタカでは「椅子サーキット」と呼んで実施した。椅子を踏み台昇降的に使った地面と座面の昇り降り、腹筋、背筋などのメニューがあった。
目新しいものはなかったが体系的な順番になっているように感じた。マエタカのサーキットトレーニングは前年の冬に開発されたものをこの冬もやっていた。それに椅子サーキットを新たに加えた格好だった。
前年のサーキットメニューは当初ものすごくきつかったものの、ある時期から体が慣れたことは前述した。そういった意味ではこの年のサーキットトレーニングでのきつさは余り記憶にない。きっとそれだけ体が強靭になっていたということだろう。
スポーツ紙1面に「偏差値70」
2学期末のテスト期間、まったく練習しないのも体調維持上、懸念があるので全体練習の形はとらずに自主練習とし、練習用ユニフォームではなくジャージでの練習運用とした。この時期の対応としては例年通りだったと思う。
1学期の中間テスト、期末テストの時はさすがにオンシーズン真っ只中でもあって全体練習を休むことはなかったのだが。
笑ってしまったのはその際に来た取材内容がスポーツ新聞の一面にでかでかと載ったことだった。よっぽど他にニュースがなかったのだろう。
見出しは「え!偏差値70!」だった。スポーツ新聞特有の煽り&冷やかしめいた悪意を感じなくはない内容で、「来春選抜出場見込みの前橋高…期末試験中にお邪魔して練習風景を…秀才ナインのいでたちは…」であった。
レギュラー個々の小さい顔写真、得意科目、偏差値、進学希望先などが記されていたと記憶している。ほとんどが志望先を国公立大とお茶を濁す中、相澤雄司だけは慶應大学とはっきり述べていた。とっても相澤らしかった。
取材時に答えた偏差値は高校入学時のもので、この取材時点では全国模試も受けておらずデータはない状態だった。もちろん、クラスメイトからは大いに冷やかされた。間違いなくその時点のデータがあれば偏差値70のはずがなかった。
後の話だが、東京大学野球部のマネージャーが来校し、「部員のみなさんにぜひ東大進学と野球部入部を勧めてください。受験勉強の手伝いもします」との申し出があったらしい。部員の状況とレベルを熟知していた先生方は部員に相談せずに丁重に辞退申し上げたと聞いた。さもありなんであった。
スポーツ紙とは言え新聞の一面を飾ったことには大いに驚いたが、世の中の自分たちへの興味の持ち方を改めて噛みしめることにもなった。
「ま、そんなものなのね」と。この辺の感覚を勘違いすることはなく、不思議と浮つくことはなかった。当時の空気は「浮ついているのが一番格好悪い」からだった。
かわきた・しげき
1960(昭和35)年、神奈川県生まれ。3歳の時に父親の転勤により群馬県前橋市へ転居する。群馬大附属中-前橋高―慶応大。1978(昭和53)年、前橋高野球部主将として第50回選抜高校野球大会に出場、完全試合を達成する。リクルートに入社、就業部門ごとMBOで独立、ザイマックスとなる。同社取締役。長男は人気お笑いコンビ「真空ジェシカ」の川北茂澄さん。
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