interview

聞きたい

【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎38】
高校2年秋-6

2023.04.10

【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎38】
高校2年秋-6

東海大相模戦、初回に先制

さあ、11月5日、マラソン大会当日。野球部員は残念ながら(笑)、マラソン大会に参加することなく関東大会2回戦となった。同じく敷島球場。相手は東海大甲府高校を破った東海大相模高校であった。東海大甲府戦で例の山下真吾選手(柔道の山下泰裕さんの弟)は右中間スタンドにホームランを放っていた。

3塁側のマエタカ側スタンドは在校生であふれかえっていた。マラソン大会後の全校応援に近かったのだ。そしてまさにこの試合こそがこの年のマエタカを象徴する試合となった。

▲入場行進前に隣り合わせになった東海大相模ナイン。体が大きい

東海大相模の先発投手は甲子園でも投げた左腕の西豊茂だった。初回、川北は四球で出塁した。初戦に続く初回の先頭出塁となった。

2番は堺晃彦。相手投手次第ではあるが、このケースは3回に2回はヒットエンドランであった。送りバントの気配を漂わせながら相手の守備を牽制しつつ一発食らわせにいくのだ。

監督の両手が重なった。エンドランのサインだ。左投手なので牽制に注意しつつ川北はスタートを切って走りながら堺を見た。気持ちよさそうにバットが一閃。響き渡る快音と共に打球は左中間を抜けて行く。セカンドベース手前で打球をそう見切ると川北はホームへひた走った。先制二塁打であった。

四球でも内野安打でもなんとか1番川北が出塁し、対応力のある2番堺がエンドランもしくはバント、そして3番相澤雄司、4番松本稔、5番佐久間秀人で得点を挙げて、6番高野昇がスクイズで着実に加点。これがその後続くマエタカ十八番の攻撃パターンである。

この時はさらにそれ以上の勢いがあり、そこからもうイケイケワッショイ。後半になると高野はスクイズではなく、相手投手交替の代わり端、初球をセンター前にタイムリーを放って鼻を膨らませるなどすべてがよい方に転がっていった。

打たせて取る松本の投球

しかし、東海大相模の打者も負けてはいなかった。筋骨隆々とし素振り音をブンブンと響かせる彼らが金属バットを目一杯長く持って打席に入ってくると、正直、腰が引けるような怖さがあった。

松本がたまに投じる高目からドロンと落ちるカーブ、相模の打者がグッとタイミングを溜め込む度に、サード川北の背中には冷や汗が流れていた。

後にプロ入りする内田強選手の弾丸のような打球が三遊間を抜けていったが、サード川北、ショート堺は一歩も動けなかった。川北と堺が目を合わせた時にはレフトの石井彰がその打球を処理していた。

しかし、一方で大振りでもあり、当たりはよいが外野フライが多かった。マエタカ外野陣も深めに守り、そこに松本がフライをポンポン打たせてとっていく。後々にも続くことになる打ち取りパターンであった。

川北にとって思い出に残る守備が二つあった。一つは二死1、2塁のピンチだったと思う。痛烈なピッチャー返しに松本が反応よくグローブを出したものの弾いてしまい、3塁側に球が転々とこぼれた。

強襲ヒットかと思われたが、川北が駆け寄ってこれを拾い一塁でアウトにしたのだ。このプレーでピンチを脱した。スタンドからも大喝采を浴びた。ベンチ前に戻って円陣を組んだ際に田中不二夫監督が頭をクシャクシャと撫でてくれた。

▲田中監督とのツーショット

「諦めちゃあダメと言うことだな。うん。うん」

そんな褒め方をする人ではなかったので、照れ臭かったがすごくうれしかった。投手出身の田中監督だけに投手目線で、松本が弾いた瞬間に一瞬諦めたのかもしれない。

もう一つは終盤の一死1塁だったと思う。強烈な当たりを打たれたがサードライナー。少し背伸びする高さくらいの打球で左手がジンジン痺れたが、捕球後すぐに一塁に送球。打球の強烈さに思わずスタートを切っていたランナーは戻れずにダブルプレーとなった。そんなこんなもノリノリのマエタカペース展開のアクセントとなった。

1年前と逆 強豪に快勝

一方で後々の笑いの種になるプレーもあった。左腕の西投手は牽制が上手かった。マエタカペースの試合の流れにもなり、監督から「1塁牽制は上手いから無理にリードはしなくていいよ。ホームに投球されたのを見てから離塁するんだよ」と言われた矢先だった。

ほんの1、2歩リードした石井彰が牽制で刺されたのだ。かわいそうに監督からは「1塁のランナーコーチを変えろ!」と下級生が怒られた。間違いなく石井のボーンヘッドだったのに。

▲14安打の猛攻で強豪を撃破した

こうして、東海大相模高校に勝利した。6対2。野球は本当に不思議なスポーツだった。1年前に真近かで見てドキドキしていた彼らに自分たちが勝ったことがまったく信じられなかった。

あまりいろんなことは考えず、野球の試合で勝ったとだけ頭に入れておこうとした。チームの、あるいは自分の成功パターンの刷り込みが大事だと思ったのだ。

かわきた・しげき

1960(昭和35)年、神奈川県生まれ。3歳の時に父親の転勤により群馬県前橋市へ転居する。群馬大附属中-前橋高―慶応大。1978(昭和53)年、前橋高野球部主将として第50回選抜高校野球大会に出場、完全試合を達成する。リクルートに入社、就業部門ごとMBOで独立、ザイマックスとなる。同社取締役。長男は人気お笑いコンビ「真空ジェシカ」の川北茂澄さん。