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聞きたい

【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎37】
高校2年秋5

2023.04.09

【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎37】
高校2年秋5

関東大会前にユニホーム新調

さあ、秋季関東大会である。この1年数カ月の間に3度目の関東大会となったが、いっぱしの野球名門校並みであるという自覚はまったくなかった。ただ、関東大会という舞台に特別感は薄れ、いつも通りに野球をやることに意識を集中させることができていたように思う。

この地元開催大会の出場校は、茨城県が取手第一高校、取手第二高校。栃木県が宇都宮商業高校、作新学院高校。千葉県が印旛高校(現印旛明誠高校)、千葉敬愛高校。埼玉県が川口工業高校、上尾高校。神奈川県が東海大相模高校、武相高校。山梨県が東海大甲府高校、塩山商業高校。

群馬県の桐生高校、前橋高校、富岡高校。東京を除いた7県から以上15校が出場した。取手第二と川口工業、東海大相模はこの夏の甲子園に出場していた。

群馬県の3位はマエコウ(前橋工業高)とトミオカ(富岡高)の3位決定戦をトミオカが制しての出場だった。

後にプロ入りする選手としては取手第二の大野久(阪神)、宇都宮商業の斎藤浩行(広島他)、1学年下だが上尾の仁村徹(中日)、東海大相模の内田強(中日他)らがいた。

話題の選手としては柔道の「世界の山下」の弟さんが東海大相模高校にスラッガーとして在籍していた。

マエタカはこの大会用にユニフォームを新調することになった。前年秋の関東大会での東海大相模の選手とのユニフォームを巡る談義は面白おかしく監督や先生方に伝わっており、少しでも選手が引け目を感じないようにとの配慮であったのだろう。

3度目の関東大会で少し予算も出たのかもしれない。伸縮性のある若干厚手の生地で、アイボリーカラー。胸のネームと背番号は刺繍。左肩の校章は印刷した生地を縫い付けたものだった。

アンダーシャツは少し厚手の白のハイネック。ストッキングも慶応カラーは変わらないが、しっかりした生地となり、引っ張ってもあまり伸びず、色も薄くならないものになった。

初戦の相手は千葉県2位の千葉敬愛。正直、横芝敬愛高校は野球の強豪として聞いたことはあったが、千葉敬愛はまったく知らなかった。

球場練習が各校割り当てられていたので見に行った。人数はマエタカ同様、二十数人といったところか。体格はマエタカ同様に小柄で線も細い印象。どちらかというと流れに乗って勝ち進んで来た「真面目に一生懸命やる」チームに見えた。きびきびとした練習からそれがうかがえた。

▲入場行進前。隣には東海大相模がいた

東海大相模と再戦誓う

敷島球場での開会式。入場行進を待つ間、県内勢はもちろん知り合いだったので談笑したが、東海大相模の選手たちともまた話した。

前年のユニフォーム談義、そしてそれがあったのでユニフォームが新調されたことなど。

「そうかあ」

「ああ、そう言えばお前、去年いたなあ。いた、いた」

「おお、生地は良いじゃん」

相変わらず彼らは都会のスマート高校生で屈託がなかった。お互い1回戦を突破すれば2回戦では対戦することになることも分かっていた。

「そっちに勝つために頑張ったんだよ。勝つから、そっちも勝って上がって来いよ」

誰かがそんなことを相模の選手に言っていた。そんなことが言える立場と状況なのだろうかと、川北はここにいる事実が信じ難かった。

▲堂々の入場行進。すっかり慣れた関東大会

初戦突破のモチベーションで東海大相模高校へのリベンジより重要なものがあった。ここ2度の関東大会出場が初戦負けだったことでもない。

それは、2回戦の試合予定日がマエタカの校内マラソン大会の日であることだった。初戦さえ突破すれば10㌔を走らなくてよいのだ。

「よし、やってやろうぜ!」

「絶対勝とうぜ、絶対!」

普段から勝つことにこだわってはいたものの、口に出すことはあまりなかった。しかし、このときはまったく違った。みなの士気は特別に高かった。

「よし、絶対勝とう。勝てれば…っと」

火を噴く「ピストル打線」

11月4日、1回戦、千葉敬愛。千葉県2位の威圧感は正直感じなかった。まあ、威圧感においてはお互いさまではあったろう。

試合前のシートノック時、川北はグローブの網部分の皮が少し傷んでおり、白い包帯を巻いて補修していたが、田中不二夫監督に「白は球と色が一緒でダメだ。注意されるぞ。すぐ取れ!」と比較的厳しくたしなめられた。

仕方なく黒い端切れを巻き付けて代用した。そんな目配りを監督がすること自体が意外で、この大会への意気込みを改めて感じた。

初回、最初の打席で川北は詰まりながらもショート後方へのヒットを放つことができた。そこからは怒涛の攻撃であった。

この大会でマエタカ打線は「ピストル打線」と命名されたのだが、上位打線はもちろん、下位打線にも長打が生まれた。アライファルコンの「神様バット」は火を噴きっぱなしであった。

▲千葉敬愛戦。2回2死、2塁で茂木慎司が先制の三遊間安打を放つ

一方、松本稔の投球はいつも通り。丁寧に直球と3種類のカーブでコースを突いて行く。

気が付けば11対0、6回コールドの完封勝ちであった。最後の守りではライト、相澤雄司とキャッチャー、高野昇を入れ替える余裕まで。

高野はキャッチャーの守備の際にホームベース前で、「ひとりっつ。ひとりっつ」と、1人ずつ丁寧にアウトにしていきましょうと、みなに声掛けするのが常だった。

この時、ライトを守りながらもまったく同じように、「ひとりっつ。ひとりっつ」と言っていた。その純朴さがまたみなの笑いを誘っていた。

かわきた・しげき

1960(昭和35)年、神奈川県生まれ。3歳の時に父親の転勤により群馬県前橋市へ転居する。群馬大附属中-前橋高―慶応大。1978(昭和53)年、前橋高野球部主将として第50回選抜高校野球大会に出場、完全試合を達成する。リクルートに入社、就業部門ごとMBOで独立、ザイマックスとなる。同社取締役。長男は人気お笑いコンビ「真空ジェシカ」の川北茂澄さん。