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聞きたい

【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎27】
高校2年夏-2

2023.03.24

【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎27】
高校2年夏-2

前女文化祭 ほろ苦い思い出

土曜か日曜か、どこかに練習試合に行って学校に早めに戻れて、かつ練習もそのままあがりの日があった。しかもその日は前橋女子高校、マエジョで文化祭をしているとのこと。誰とはなしに行ってみようかとなり、2年生部員8人全員で一団となって行ってみた。

向かう道すがらは何とはなしにみな口数も少なく、内心のドキドキ感が落ち着きのなさに現れていた。何かがあるかもしれない期待感を淡く抱いてもいたからだろう。

しかし実際ついてみると校内は男子高校生で溢れていた。マエタカが学区ナンバーワンの男子校であれば、マエジョは同ナンバーワンの女子高である。当然と言えば当然だった。

来校している男子はみなセンス良くカジュアルに着飾り、長めの髪をなびかせているタイプが多い。マエジョ生の出し物やイベント呼び込みとのやりとりもナンパ合戦の様相であった。

一方、坊主頭で日に焼け、ずんぐり体型の薄汚れた学生服8人組はすっかり気後れしていた。さながら小鴨たちが体のどこかを触れ合ったまま群れとなって移動するように、キョロキョロ、オドオド周りを見渡しながら集団で進んでいた。そんな集団は不気味でしかなく、呼び込みや案内勧誘を受けるはずもなかった。

あてもなく歩くのも情けなさが増すばかりである。片隅の模擬店の喫茶店でスペースを見つけて溜息とともに腰を下ろし、飲み物を買って人心地ついた。

「あーっカワキタさん、こんにちは!」

屈託のない元気な声で挨拶をされた。中学時代の1年後輩の女子だった。

「お、おー…」

「野球部で頑張ってらっしゃるんですよね。応援してます!」

「あ、ありがとね。」

「あ、そうだ、Kさんのところに来たんですよね。多分2階の〇〇〇教室にいますよ。呼んできましょうか?」

「いや、いいよ。大丈夫、大丈夫。席に長居したら迷惑だよね。もう行くよ。ありがとう。」

「そうですかあ~、それじゃあ。頑張ってくださいね~・・・」

急に一刻も早くマエジョを出たくなった。思い出したのだ。中学時代にKさんに憧れ、もちろん告白をし、Kさんには付き合っているわけではないものの思い人が別におり、川北はそれでもいいからと手紙の交換をしていたのだ。

そんな間柄であったのだが、いつしか「Kさんと川北は付き合っている」と校内では思われてしまうことになり、結果的にはKさんを傷つけてしまったのだった。中学卒業式の前にKさんからお互いがやり取りした手紙を返し合う申し出があり、そうした。

川北にとっては自意識過剰で恋に恋した苦い思い出だった。まさに自分本位の恋愛ごっこであったのである。しかも向き合ってまともに話もできない野暮天イモ野郎だったのだ。

そんなこととは知らない周囲は、いまだに2人が付き合っているという認識も残っていることが図らずも分かったのだった。

正直、恥ずかしさと申し訳なさでいたたまれなかった。明るく開き直ることもさらさらできず、どうやってマエジョを後にしたのかも覚えていない。

▲変装して正門を出発し中心街を練り歩いた

▲ミス前高。だれだろう

前高文化祭 恨めしい突然の雨

マエタカにも文化祭があった。こちらは毎年ではなく2年に1度程度の不定期行事だったはずである。マエタカ凱旋歌の歌詞に中国古典からの引用で登場する「蛟龍」にちなんで「蛟龍祭」と名付けられていた。

学校を挙げての大行事であったが、野球部は実は蚊帳の外だった。夏の大会に向けた大事で貴重な時期との認識で、自ら蚊帳の外に出る格好だった。

まず準備期間もクラスのみなに「ごめん」といって授業終了と同時に部室に向かい練習に打ち込んでいた。グラウンドで練習していると各所で吹奏楽やロックバンドの練習演奏が聞こえていた。キャロルの「君は♪ファンキー♪モンキー♪ベイべッ!」はもういいよと思うほど屋上から聞こえていた。

▲軽音楽のライブ。川北も出演したかもしれなかった

子供に人気を集めた2年6組の釣り堀

蛟龍祭当日はさすがにグラウンドが使えない。昼間はマエコウの野球部専用グランドを借りて練習をした記憶である。マエコウは授業時間だったのだろう。もう夏の日差しと言って良い太陽光と空が青く抜けていたことを覚えている。

夕方には学校に戻り、校庭利用がフォークダンスからファイヤーストームと予定されていたので、ファイヤーストーム後の後片づけとグラウンド整備に備えていた。

この時に同級生のロックバンドの演奏も聞いた。何組も出場していたが段違いで上手かった。前述したが、自分がドラムを叩いている姿を重ねて心が震えた。

野球部員にとって自分たちが加わるイメージなどまったくないフォークダンスが始まった。照れでもすかしでもなく景色を眺めている感覚だった。

ふとみると、浅間山、榛名山方向に雲が起こり始めていた。天気、特に夏のにわか雨の専門家であった野球部員たちは口々に言った。

「来るな」

「おー、間違いない。来るよ」

フォークダンスが終わるころ、みるみる風が吹き始めた。

ファイヤーストームという言葉をこの時まで知らなかったのだが、キャンプファイヤーの大掛かりなものらしく、校庭の中央、セカンドベース位置とセンターの守備位置の間に廃木材が高々と積み上げられていた。

▲女子と手を握れると下心いっぱいのフォークダンス

▲ああ無情の雨。ファイヤーストームは中止に

廃木材の山を中心にフォークダンスの輪は回っていたがそれもほどけ、いよいよ蛟龍祭最後のイベントへの機運が高まり、在校生も校庭に集まりかけていた。

と、そこへ西方向から足元を抜けて高く舞い上がる風。上空の雲は刻一刻と暗さを増してきた。一陣、突風ともいえる風が吹き抜けるとポツリポツリが始まり、あっという間に激しいにわか雨が空から雪崩落ちてきた。

地面を叩きつけて土煙があがり、それと雨煙とでもはや視界も数㍍。生徒は蜘蛛の子を散らすように校舎、体育館に逃げた。激しいにわか雨だった。

しかも一瞬で終わらずにそこそこ降り続き、校庭は水浸しとなり廃木材はたっぷりと水を吸い込んだことが遠目にも分かるほどだった。

ファイヤーストーム中止の決断は誰の目にも妥当なものだったが、蛟龍祭実行委員にとっては辛い決断だったことは想像がつく。何人かの涙も見た。

川北たちにとっていつもは歓喜をもって迎えるにわか雨だったが、この時は恨めしかった。結局その後、キャンプファイヤー経験はあるが、ファイヤーストームは未経験のままである。

かわきた・しげき

1960(昭和35)年、神奈川県生まれ。3歳の時に父親の転勤により群馬県前橋市へ転居する。群馬大附属中-前橋高―慶応大。1978(昭和53)年、前橋高野球部主将として第50回選抜高校野球大会に出場、完全試合を達成する。リクルートに入社、就業部門ごとMBOで独立、ザイマックスとなる。同社取締役。長男は人気お笑いコンビ「真空ジェシカ」の川北茂澄さん。