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聞きたい

【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎24】
高校2年春-1

2023.03.20

【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎24】
高校2年春-1

大量16人の新入部員が加わる

丸一年たった感慨に浸る暇もなく春休みの練習は急ピッチで進んでいった。昨年の川北たち同様に初々しい新入生たちが練習に参加し始め、人手の増加は助かったが指示出しの煩雑さに閉口した。去年、先輩たちもそうだったのかと納得もした。

新入部員は後の退部者を含め、前橋一中から高野昇、横田淳一朗、坂田和彦、亀倉康之、橋爪康之。前橋三中から逸見和哉。桂萱中から勝山均、植松隆、清水明。元総社中から根岸敦。東(アズマ)中から竹井克之。荒砥中から細野雅之。北橘中から大館勉。吉岡中から坂庭達也。伊勢崎から宮田雅人、近藤英明ら計16人余りであった。

▲昭和54年卒業の野球部。1学年下は前列、後列とも左3人

橋爪は年齢は川北たちと同じで、この年の秋からはマネージャーとなった。

桂萱中はこの代の中学校県大会優勝チームであった。ただ優勝投手、若井隆弘は前橋南高校(マエナンまたはミナミ)、4番の捕手、泉正雄は前橋工業高校(マエコウ)に入学した。

マエタカにとっては近年の好成績が大量入部を呼んだのかもしれない。亀倉、根岸、大舘、坂庭は中学野球未経験者。未経験者の入部は初めてで、受け入れ側に戸惑いがあった。

ちなみにスコアラーの後継者は橋爪であった。誰が書けるのかとなった際に、「あっ、書けますけど」と答えたのだった。後にマネージャーになった一つのきっかけでもあったかと思う。

以降、川北は試合に出場しないときは主に一塁ベースコーチとなった。理由は思いつかない。声が大きかったからかもしれない。

春休み中から練習試合は始まっていた。何といっても昨秋の県優勝チームである。それなりの警戒感をもって練習試合も申し込まれていたのだろうが、部員の肌感覚では「格好の自信付け相手」と思われているような気がしていた。

他校から見れば圧倒的な力強さもなく、「マエタカには勝てそうな気がする」であったろうし、また勝てば「県優勝を倒した!」となり、乗って行けることになる。

事実、練習試合は四つに組む展開がほとんどで楽なゲームは一つもなかった。

伝説の先輩の縁で練習試合

栃木県の野球強豪校、足利学園高校(現、白鴎大足利高校)とマエタカは当時よく練習試合をしていた。マエタカOB、正確にはマエチュウ(前橋中学校)OBの丸橋仁さんが永らく足利学園野球部に関わられていた縁と聞いていた。

丸橋さんは前橋中学校時代に甲子園に出場し、延長戦の記録となった静岡中学校(現静岡高校)との延長19回の死闘を投手として演じられた伝説の方であった。

▲伝説のナイン。丸橋さんは2列目の真ん中

▲前橋中-静岡中の一戦。延長19回を示すスコアボード

この時、ご高齢ではあったがマエタカ部員の前で訓話もいただいた。大変申し訳ないことに訓話の内容は記憶にないが、我々の同級生、田口淳彦そっくりの丸顔でクリクリ光る純粋な目をされており、みなに伝えたいことが山ほどあると話す、純粋な野球への情熱と高校生野球部員に対する愛情に溢れた方であった。何事かを成し遂げる人の一途な情熱オーラをぎゅんぎゅんと感じた。

練習試合は緊迫した展開で、マエタカがリードしていたが終盤で追いつかれ、足利学園サイドは雰囲気も盛り上がってきていた。

「足利魂みせるぞ!」

「そうだよ、わざわざ来たんだからよ!」

攻守交替で守備位置に向かいながら足利学園高校の選手たちが気勢を上げあうほどであった。

それをマエタカの4番、ショート、安藤敏彦主将が粉砕した。

ランナーが1塁か2塁におり、安藤が放った打球が左中間を切り裂いてのサヨナラ勝ちであった。

後に安藤はこの時のことを自己陶酔気味に、「…行ってしまった俺の打球…だきゅう、きゅう、きゅう…」とセルフエコーにスローモーション動作付きで語ってくれていた。

何よりも格好よかったのは、サヨナラゲームとなって選手が試合終了の挨拶に並び始める中、セカンドベースあたりまで走った安藤が夕日を背に受けてゆっくりとした足取りで、終了挨拶列の主将の位置に収まるランニング所作であった。

浮かれることなく、打って当然的な物腰。マエタカ部員だけでなく、相手チームをも黙らせる格好よさであった。

強豪校のボール回しに困惑

足利学園高校とはそんなご縁もあったので、練習試合時に合同練習的なことも行っていた。

そのシートノックの際の出来事。よく野球名門校は同時にボールを複数入れてボール回しやノックを行う事があるのをご存知の方も多いだろう。

野球強豪校である足利学園高校は部員数も多く、一つの守備位置に複数の部員がいることもあって、日常的にそういった練習をしていたのだろう。

マエタカ部員も一緒に混ざり合ったシートノックでも当然のようにボールを複数入れてきた。ところが我らがマエタカはそんな練習はしたことがなく、アタフタし途中で突っかかってしまう。足利学園高校部員からするとオヤオヤ感が…。

その時、「おお~、危ないよ。危ない。ボールは一つで!、ケガするよ!」と 田中監督が見かねて叫んでくれた。

雰囲気的には「一つのボールに皆で集中するのがマエタカ流!」感を出したかったところだが、やったことのない高度な練習についていけない格好がバレバレであった。

この件も後に自虐笑い話であった。県大会優勝チームが強豪校の普通の練習についていけなかったのだから。

かわきた・しげき

1960(昭和35)年、神奈川県生まれ。3歳の時に父親の転勤により群馬県前橋市へ転居する。群馬大附属中-前橋高―慶応大。1978(昭和53)年、前橋高野球部主将として第50回選抜高校野球大会に出場、完全試合を達成する。リクルートに入社、就業部門ごとMBOで独立、ザイマックスとなる。同社取締役。長男は人気お笑いコンビ「真空ジェシカ」の川北茂澄さん。