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聞きたい

【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎20】
高校1年冬-1

2023.03.15

【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎20】
高校1年冬-1

校内マラソン 野球部は上位続々

11月も半ばを過ぎると日暮れも早く、正門脇のポプラは葉を落とし、校庭南側に並んだイチョウは黄色い葉を散らし始めていた。

急速に気温が下がり始め、木枯らしの冷たさに冬が迫っていることを実感する。グランドはますます冷たく硬くなっていき、練習時のみなの影は確実に長くなっていくのだった。

マエタカ恒例、校内マラソン大会が開かれた。一大行事である。

学年別にスタート、校門を出て、二子山古墳の前を東に行ってから南に折れ、住宅地から乾燥した冬の水田地帯を走り、市内南部をぐるっと回って帰ってくる10㌔コースである。

後半は北風に向かって北上することになり、なかなかのきつさではあった。水田地帯は周辺に遮るものが少なく、澄み渡った冬の空気の先に赤城山の左奥、奥利根の武尊山や榛名山の右奥、上越国境の谷川岳が雪をまとって白く輝いていた。

遠くを見つめすぎると、走っても、走ってもなかなか先の景色が近づいてこず、目線を転じて足元の一歩一歩を見て確実に前に進んでいることを確認する繰り返しであった。

体育の授業でも部分的に走らされたりしていたコースだが、野球部員にとっては勝手知ったるコースでもあった。

▲校内マラソンで3年間トップだった久保田(左)の走り

1年生1位は陸上部、川北のクラスメートでもある久保田大三。彼は中距離走選手でもありダントツだった。野球部員では相澤雄司が2位、川北が8位、茂木慎司が10位とそこそこの結果を残した。学年総数は確か405人だったと思う。

2年生は中林毅が2位、樋澤一幸も10位以内ではなかったか。3年生では石山佳治が5位程度だった。野球部員はみなそこそこ上位に入っていたはずである。

実際走ればそんな結果なのだが、疲れることに敏感な野球部員たちのマラソン大会忌避願望は激しいものがあった。そのことが翌年、幸運をもたらすこととなるのだが、それは改めてとさせていただく。

トレーニングで筋肉ムキムキに

12月、オフシーズントレーニングへの切り替えとなった。

メインとなるサーキットトレーニングについて、体育の斎藤茂先生(=「シゲちゃん」と呼ばれるボディビルもやっていた先生)にメニュー検討をお願いしていたらしく、ある日、監督、顧問、OB各氏立ち合いのもとでレクチャーが行われた。

2人1組が基本で

①つま先立ち膝屈伸をトントンツーっとリズミカルに

②両手指の曲げ伸ばし握力鍛え。親指外握りと親指内握りと2種類

③馬飛び馬くぐり。1人が手足を伸ばして地面につけた馬となり、もう1人が飛び超え、直ぐに反転してその馬を潜る。そしてまた飛び越える

④そんきょ片手バット握り前伸ばし、その前伸ばしバットを両足連続往復飛び越え

⑤肩車しゃがみ&持ち上げ起立

⑥背中合わせ相互持ち上げ背中伸ばし

⑦高鉄棒懸垂10回

⑧本塁から二塁まで腕前振りのみのカエル跳び

⑨二塁から本塁まで腕前後振りのカエル跳び

⑩・・・・・

▲懸垂も競争するようにこなした

このレクチャーの際の川北の相棒は佐久間だった。彼は中学時代は細身のショートだったのだが高校入学後から下半身がどっしりし始めて、恐らくチームナンバーワンの体重だったはずだ。

このレクチャー時は全員が全メニュー初めてでもあり、何とか想定回数をこなすのがやっとであった。

そんな中、特に⑤の肩車しゃがみ&持ち上げ起立で、川北は佐久間を指定されていた10回持ち上げができず、腰を痛めてしまった。この時の腰痛とは一生の付き合いになってしまう。このことがあって⑤は修正され、肩車をしてのつま先立ち踵上げメニューに軽減変更された。

このサーキットトレーニングは通常2セット行っていたが、当初は体中の筋肉と筋がバンバンに張り、毎日うめき声とともに行っていた。学校の和式トイレでは個室ブースの両脇の壁に両腕を突っ張りながらでないと腰を下ろせなかった。

ところが育ち盛りの人間の体の適応能力は恐ろしい。いつの間にかこれが「普通」のトレーニングメニューとしてこなせるようになってしまうのだった。まさしく慣れたのである。

慣れに驚きかつ人間の体の凄さを再認識した。また2人1組で行うため、組同士でのこなす速さの競争意識が芽生えるようにもなった。

少しでも早く終わらせて、まだ終わらない組を「待つ余裕」が欲しくなるわけである。時間にするとそれほど差があるわけではないのだが、気がつくとそのわずかの差のために必死に取り組んでいた。

これも負けん気とひがみ根性の現れなのだろう。みなきついので無言ながら、心理戦ではバチバチなのだった。

ダイヤモンドを回ってくるカエル跳びは半分ずつで跳び方が変わるので、当初二塁で一休みがノーマルだったのだが、中林が休憩なしで続けて1周跳びを始めると、みなが同様に休みなしで跳ぶようになった。

▲カエル跳びは脚力ある中林が得意とした

こういった鍔迫り合いが意外と精神面も同時に鍛えることに繋がっていたのではないだろうか。もちろんフィジカル的にも腕、太もも、ふくらはぎ、腹筋などなどがムキムキしてきていることも実感できた。練習用ユニフォームがピチピチし始め、縫い目で裂けたりしたこともあった。

インターバル走というメニューも冬メニューだった。ダイヤモンドを2人1組で笛の音と共にダッシュ、次の笛で反転して逆方向にダッシュ、また次の笛で向きを変えダッシュ。この2度目の笛で次の組がスタートする。

笛反転ダッシュを繰り返しながら実質ダイヤモンドを1周すると呼吸を整えるジョグとなる。ジョグで一塁間分進んだらまた笛反転ダッシュ。各塁スタートを4セット繰り返して本塁位置まで戻ってくる。次には反転の回り方を逆回りの後ろ回転にしてまた4セット。

これは笛を吹く人の熟練度で練習効果が全く違う。むやみやたらと笛を吹かれると同じところを行ったり来たりするだけでダッシュではなく反復横跳びになってしまう。リズミカルに、また笛の音を打球判断に重ねながら滑らかに早く反転することが大事な練習なのだった。

スパイクではなくスポーツシューズで行うので反転時に踏ん張りが効かず、地に根が生えたような静止と反転が行えるようになるには2カ月程度かかった。

かわきた・しげき

1960(昭和35)年、神奈川県生まれ。3歳の時に父親の転勤により群馬県前橋市へ転居する。群馬大附属中-前橋高―慶応大。1978(昭和53)年、前橋高野球部主将として第50回選抜高校野球大会に出場、完全試合を達成する。リクルートに入社、就業部門ごとMBOで独立、ザイマックスとなる。同社取締役。長男は人気お笑いコンビ「真空ジェシカ」の川北茂澄さん。