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聞きたい

【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎1】
はじめに

2023.02.19

【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎1】
はじめに

甲子園史上初の記念碑的勝利
奇跡の裏側にあった軌跡を振り返る

1978(昭和53)年3月30日、私たちマエタカ野球部は甲子園史上初の完全試合という記念碑的な勝利をいただきました。

月日は流れ、そんな私たちも還暦を過ぎました。あの試合は何だったのか、何度となく聞かれ、自分にも問いかけて参りましたが、いまだにその答えはわかりません。

少なくとも私たちがあの試合で記念碑的な勝利を収めて当然というだけの力量や技術を持ち合わせていなかったことは間違いないことです。それにふさわしい運命的、因縁的、心理的な要素があったこともありません。

野球という奥深く素晴らしい反面、残酷なスポーツゲームの出来事の一つであり、私たちはこれまで周囲の人にずっとそれを言い続けてきました。当時から近しかった人たちにはそれが伝わりますが、そうでない人たちには謙遜としか受けとっていただけておりません。

この先、私たちがさらに高齢化すると記憶の減退もあり、過去の思い出を美化してしまう可能性もありそうです。物語を創ってしまいそうな危惧もあります。そんな私たちであってはならない、なりたくはないと思い、いまのうちにできるだけ正直に、素直に当時を記録しておこうと本稿を起こすことにいたしました。

▲甲子園で史上初の完全試合を達成した松本稔投手=1978年3月30日

内容において多少の記憶違い、時期違いはご容赦いただきたいと思います。大事にさせていただいたのは結果から遡った脚色は避けるということです。

同じ時代を過ごしてきた同輩の方々には大いに共感していただけると思いますし、次世代、新世代の方々には「ふーんそうだったんだ」と一昔前のリアルを感じていただければと思います。

物事は結果から始まるのではなく、いつもオンタイムのリアリティーがすべてなのです。そこを感じ取っていただければ幸いです。

あらかじめお詫び申し上げますが、文中、読み易さを優先したく、尊敬する先輩諸兄の敬称を省略させていただいています。また、筆者なりの感覚で差し障りを生じそうなところ以外は実名で記述しております。何卒ご容赦賜りたくお願い申し上げます。

(前橋高校野球部昭和54年卒主将・川北茂樹)

 

かわきた・しげき

1960(昭和35)年、神奈川県生まれ。3歳の時に父親の転勤により群馬県前橋市へ転居する。群馬大附属中-前橋高―慶応大。1978(昭和53)年、前橋高野球部主将として第50回選抜高校野球大会に出場、完全試合を達成する。リクルートに入社、就業部門ごとMBOで独立、ザイマックスとなる。同社取締役。長男は人気お笑いコンビ「真空ジェシカ」の川北茂澄さん。