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聞きたい

【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎50】
選抜甲子園-6

2023.04.24

【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎50】
選抜甲子園-6

インタビューにも完全対応

試合後の川北の記憶はあまりない。きっと緊張の糸が切れてポカンとしていたのではないか。

▲1-0の勝利を示すスコアボード

▲勝利と大記録達成に喜びを爆発させるアルプススタンド

後にビデオ録画で松本稔のインタビューを見た。甲子園史上初の完全試合と意気込むインタビュアーに対して、冷静に答えている。

「ああ、そうですか。そうなんですか」

「一勝できたことがうれしい」

「自分に抜群の力があるわけではない」

「相手が少し消極的で助けられた」

「うちのチームは大舞台で急に力が出るようなところがある」

「試合展開が早く、あれよあれよで何がどうなってこうなったのか」

「記録ができてびっくり」

浮つかず、地に足の着いた受け答え。素直な松本の気持ちであり、マエタカ野球部全員の気持ちでもあった。このやり取りもまた「パーフェクトな受け答え」と評された。

▲インタビューにも松本は「完全」だった

純粋にみんなで勝利を目指し、結果、完全試合という副産物がついてきたことを端的に現わし、見る人、聞く人の共感性の高いものだったからだろう。

▲スコアラーの橋爪康之が大事に保管していた比叡山高校戦のスコアブック▼

甲子園から引き揚げるのも一苦労だった。観客、応援の人が球場外に大勢いるとのこと。バスを球場出口の傍に着け、警備員さんたちが人垣を作る中、走ってバスに乗り込んだ。バスに乗り込んで一息つくと、誰かが言った。

「カワキタ、何か呼んでるよ」

「ん」

と思って窓に向かうと、バス窓の下に大阪にいる従弟が来ていた。

「シゲ兄ちゃん、おめでとう!」

「おー、ありがと。ありがと」

ずっと気が張っていて、大阪に親戚がいることも忘れていた。しかもこの時、従弟は2人いたのだが、横にいたもう1人に川北は気づかなかった。後に、「シゲ兄ちゃん、俺のことは分からなかったみたいで…」と言われ、「あちゃー」と申し訳なく思った。自分のキャパシティー以上のことが起こり、すべてにおいていっぱい、いっぱいだったのだ。

宿に着きやれやれとなった。マエタカ関西OB会的な人をはじめ、たくさんの人がお祝いに駆けつけてくれた。

テレビを見ていると各種ニュースで取り上げられていたが、有名な歌謡番組「ザ・ベストテン」のオープニング、黒柳徹子さんと久米宏さんの掛け合いトークで、「今日、高校野球で珍しい記録が…」と取り上げられ、なんかすごいことをやってしまったらしいことが実感できた。

朝食に納豆をリクエスト

朝食を食べている最中に先生から、「何か食べたいものとかないか?」と尋ねられた。

食事の量も品数も大満足だったが、川北にはピンとくるものがあった。

「すみません、納豆が食べたいです」

みなは「カワキタア~、お前さあ」。

「納豆なんかいらねーよ」という声もあったが先生は「そうか、そうか。そうだな。粘りは大事だ」。

どうやら関西圏では当時、納豆はその匂いからあまり人気がなく、なかなか食卓には上らないものらしかった。そんなわけで翌日の朝食、恐らく納豆を探して仕入れていただいたようであった。

ただ、関東では「小粒」や「ひきわり」が一般的だったが、この日の納豆は「大粒」で半熟成っぽかった。思っていた納豆とはわずかに異なり、結構な人数が折角の納豆を残していた。

川北はがんばってたくさん食べた。ゲップが納豆臭かったことを覚えている。

▲旅館の食事は美味しかったが、納豆が食べたくなった

マエタカ紅白歌合戦

次の試合までの間、練習以外はあまり外に出られなかった。報道陣やファンらしき人の気配もあったことでの外出抑制だったように思う。

そんなこともあってか夕食後、歌合戦をやることになった。実はこういったイベントには、始まればのっかるが、なかなかエンジンのかかりにくいチームの雰囲気が実態だった。

素直でなく面倒臭い照れ屋が多かったのだ。必死さや「受けよう」とがんばること、みなの反応を得ようと前に出ることなどは格好悪いことといった世情感も多少あった。

▲部屋でくつろぐ。右は内山武先生

ここで、田中不二夫監督が「じゃあ、見本を…」と前に立った。基本、口数少なく、お洒落だった田中監督が丹前姿でゆっくりと座布団を持って腰をかがめた。

「お~れは♪、か~わら~の♪、じゃ~りす~く~い~♪」

歌いながら座布団をドジョウすくい的に動かす踊りを踊った。みなはあっけにとられた。どう反応してよいか分からなかったのだ。

しばらくして同行していた若手OBが手拍子を打ってくれて、みなそれに続いた。

いまにして思えば「社会に出た時に、こんな時にやれる芸の一つも持っておけ!」的な親父の教えでもあったのだろう。踊りは格好良くはなく、むしろ不細工に笑わせるものであったが、「やる時にはスッとやる」格好良さを見せつけられた。

さらに、大学生世代となっていた若手OB層が東京の「コンパ」で披露しているであろう歌と踊りで盛り上げてくれた。2つ上だった原田実さんのピンクレディーのフットワークが忘れられない。

始まってしまうとそこはやはり若さと言うべきか、直立不動で歌うだけではなく、それなりに演出されたものもあった。

下級生、竹井克之は金井かつ子の『他人の関係』を振り付きで首から上の頭を左右にずらして動かした。バックダンサー2人を従え大爆笑であった。

音痴と思っていた高野昇がイルカの『雨の物語』を無表情で切々と歌い上げたり、いかつい顔で大柄の坂田和彦がジュリーの『サムライ』でポーズを決めたりとなかなかの盛況となった。

川北はかまやつひろし『我が良き友よ』を真面目に歌ったが、若手OBが「それそれ♪それそれ♪」と盛り上げてくれて本当に助かった。

顧問の深澤保雄先生からは「カワキタは本当の音痴だと思っていたけど上手いじゃあないか」と、わざわざコメントしてもらったりした。

そんなこんなで工夫を交えて日々を過ごし、次の試合へのカウントダウンを刻んでいった。

かわきた・しげき

1960(昭和35)年、神奈川県生まれ。3歳の時に父親の転勤により群馬県前橋市へ転居する。群馬大附属中-前橋高―慶応大。1978(昭和53)年、前橋高野球部主将として第50回選抜高校野球大会に出場、完全試合を達成する。リクルートに入社、就業部門ごとMBOで独立、ザイマックスとなる。同社取締役。長男は人気お笑いコンビ「真空ジェシカ」の川北茂澄さん。