interview
聞きたい
【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎39】
高校2年秋7
2023.04.11
センバツ切符 ほぼ手中に
東海大相模高校戦の勝利でマエタカは完全に勢いに乗った。翌日、11月6日の準決勝。相手は埼玉の川口工業高校だった。この夏の甲子園出場校である。あふれんばかりのマエタカ応援団が3塁側スタンドに詰め掛けていた。
当時、春の選抜甲子園への関東枠は東京を別にして3~4校であった。準決勝のもうひと試合は、やはり勝ち上がってきた桐生高校(キリタカ)対千葉の印旛高校(現印旛明誠高校)。群馬県2校となると地域性の観点も出てくる。しかも県大会でマエタカはキリタカに負けている。
この準決勝に勝ちさえすればほぼ甲子園が当確だろう…が下馬評であった。周囲はきっと大いにザワザワしていただろう。
川北たちにとっては連戦であることが幸いした。前日は疲れ切って家に帰って寝て、この日は早く起きて学校へ集合。練習して午前中の試合。何も考えることなく、前日の勢いのままで試合に臨めたのである。
止まらないピストル打線
試合開始時のホームベースを挟んでの両チーム挨拶。両チームがベンチ前に並び、審判が合図をくれたら掛け声とともに挨拶ポジションにダッシュする格好で始まる。
この準決勝の川口工業戦、審判が合図をくれたと確認した川北は「元気出していくぞ!」と声を掛け、ナインは勢いよく挨拶ポジションに並んだ。
が、相手チーム、そして審判団もポジションに来なかった。なぜか分からなかった。もしかしたら合図をくれたと思ったのが勘違いだったのかもしれない。気まずい間が流れ、少し球場がザワザワした。
川北は一瞬、「かっこ悪…いったん戻ろうか」と思ったが、「いや。闘志の表れだ。ここで戻ったら戦う気持ちが削がれる」と思い直して微動だにしないよう努めた。チームメイトも不安そうに川北を見てきたが同じように振る舞ってくれた。
マエタカだけが並んでいる時間、恐ろしく長く感じた。多分30秒ほどであったろう。やがて審判団も川口工業チームも揃って並び、挨拶し試合開始となった。ほっとした。
相手投手は甲子園でも投げた右腕、浅沼一郎。球威のあるストレートとタイミングを外すカーブを武器としていた。
この試合も初回に川北は出塁した。ショート前へのボテボテのゴロが相手のミスを誘った。この日は監督の右手の人差し指が左肩下を触った。送りバントだ。
2番、堺晃彦のバントは悪くなかったが、どういうわけか川北は2塁にスライディングせずにドタドタと止まりながら走りこんだ。
フィールディングの良い浅沼投手から2塁に矢のような送球が送られアウト。「うわ、やっちまった~」と下を向いてベンチにとぼとぼ戻った。ここまでのマエタカの勢いを削ぐことにならなければ良いがと思ったが、まったくもって杞憂であった。
試合は前日同様の展開。マエタカのピストル打線は連打を繰り返し、5番、佐久間秀人はこの試合まで7打数連続ヒットと記録的であった。
佐久間は下半身がふくよかであまり走力はなかったのだが、この試合放ったセンター前タイムリーヒットをセンターが後逸した。球は球場の一番深いところに向けて転々と転がる。これはホームまで来れるかとベンチもスタンドも一体となって「回れ~走れ~」と応援した。
が、2塁ベースを回ったあたりから佐久間のランニングフォームは一転スローモーションのようになった。それでも懸命に空を掻いてホームまでもがくように力走。かろうじてギリギリセーフとなり、笑いが漏れることになった。
川北は後々の安打パターンになる「カーブを流してサードの頭越えにレフト前ヒット」を浅沼投手から2本も放つことができた。
一方、川口工業打線は東海大相模と同様に迫力満点のスイングだったが、やはり花火のように外野フライを打ち上げた。
マエタカの外野手、石井彰、茂木慎司、相澤雄司は好捕を繰り返した。センター茂木が背走また背走して倒れこみながらの捕球は野球漫画のクライマックス場面を思わせるものだった。
7対1。完勝である。こんなことが起きてしまうのか…が実感であった。
松本が4連投 関東準優勝
もしかして甲子園が現実味を帯びたのかなどと浸る間などまったくなく、翌日、11月7日、決勝戦となった。信じられないことに関東大会の決勝戦である。相手は千葉の印旛高校。
キリタカは準決勝第2試合で印旛高校に僅差で敗れていた。聞いたことのない学校名で、試合前の球場練習時に相手チームに近づいた堺が、相手メンバーに確認したらしく、「やっぱ、読み方『インバ』だってさ」と教えてくれた。
この時は知らなかったが、高校野球名物監督の一人である蒲原弘幸さんが監督に就任して頭角を現してきた学校であった。蒲原さんは佐賀商業高校、千葉商業高校、印旛高校、柏陵高校の公立4校を次々と甲子園に導いた。
この時は3校目の印旛高校で最初に甲子園に出場する代を率いていたのだ。後に明治大学、東芝で活躍する菊池総投手が大黒柱であった。
圧倒的な体躯ではなかったが、分厚く引き締まった強い体と精神力を感じさせる目力でオーラを放っているように思えた。
変な話だがふくらはぎの太さが並みでなかった記憶がある。この大会でも剛腕として他チームをねじ伏せてきている格好であった。
試合開始。初回、川北は三振であった。この大会で初めて初回に出塁できなかった。重さと強さを感じる速球ではあったが、速さや切れは感じなかった。
もっともマエタカのエース松本稔もそうだが、この日で4連投だったはず。そんな条件を差し引くべきではあったろう。
剛球投手との触れ込みであったので速球を意識していたのだが、カーブのスピードと曲がりの落差が大きく絶妙であった。むしろそのコンビネーションで打ち取られた。
ここまで猛威を振るってきたマエタカのピストル打線もこの日は火を噴けなかった。試合後の田中不二夫監督コメントは「やはり打撃は力不足。菊池投手の重いストレートを弾き返せず、セカンドゴロが多くなった」であった。
マエタカピストル打線は完封された。川北は3打席まで連続三振。速球とカーブのコンビネーションに翻弄されまくった。
開き直った第4打席。どうせカーブが来るのだろうと狙いを絞り、会心のレフト前ヒットで一矢報いた。この日は1塁側ベンチで、在校生で満杯の1塁側スタンドも歓声で讃えてくれた。3打席連続三振をみな分かっていたのだ。
一方、4連投の松本は良く投げていた。恐らく限界は超えていただろう。練習試合を含めてこれまで4連投はなかったはずだ。
印旛打線は東海大相模や川口工業に比べれば迫力はなかったが、その分、地味な手堅さを感じた。手堅く得点を重ねられ〇対3で敗れた。
とはいえ関東大会準優勝である。県大会の準優勝でも上出来と思っており、どう振る舞ってよいのかまったく分からなかった。
閉会式で準優勝の賞状をいただいた。翌年春の選抜甲子園にもほぼ出られるだろうと評され、自分たちのこととはとうてい思えなかった。明朝、目が覚めたら全部夢だったと言われても納得できたろう。
かわきた・しげき
1960(昭和35)年、神奈川県生まれ。3歳の時に父親の転勤により群馬県前橋市へ転居する。群馬大附属中-前橋高―慶応大。1978(昭和53)年、前橋高野球部主将として第50回選抜高校野球大会に出場、完全試合を達成する。リクルートに入社、就業部門ごとMBOで独立、ザイマックスとなる。同社取締役。長男は人気お笑いコンビ「真空ジェシカ」の川北茂澄さん。
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