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聞きたい
【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-番外編】
完全ナインあの日とあれから
2023.03.30
前橋高校が甲子園史上初の完全試合を達成したのは1978(昭和53)年3月30日。ちょうど45年前になる。新3年生わずか8人。出場校の投手の中で一番小さな168㌢のエース、松本稔が淡々と投げ、これまたちびっ子のバックが懸命に守った。ナインの当日の活躍を振り返り、いまの姿を紹介する。
甲子園 半世紀ぶりの勝利は大記録
第50回選抜高校野球大会第4日目の第3試合、対比叡山高戦で大記録は生まれた。松本投手が投じた球数はわずか78球。三振5、内野ゴロ17、内野フライ2、外野フライ3だった。試合は1-0。前橋高校はセンバツ初出場。甲子園での勝利は1926(大正15)年の夏以来、半世紀ぶりだった。
1番・サード 川北茂樹(群馬大附属中出身)
・あの日は
主将としてチームを引っ張り、半年前に左打ちに転向した切り込み隊長。1回裏最初の打席、初球を果敢に強振、サード強襲ヒットを放ち勢いを与えた。守っては5つのゴロを無難に捌いた。
・あれから
慶応大を卒業後、リクルートに入社する。就業部門ごとMBOで分離独立、不動産運営管理のザイマックスとなる。同社取締役。長男は人気お笑いコンビ「真空ジェシカ」の川北茂澄さん。
2番・ショート 堺晃彦(伊勢崎殖蓮中)
・あの日は
前年のチームでは1番サード、新チームでは守備の要のショートになった。緊張する1回表、最初の打者の打球を難なく処理した。1回裏、川北に続いて三遊間を抜くヒットで出塁した。
・あれから
進学した群馬大教育学部では準硬式野球部に入り、桐生高校出身のスラッガー、阿久沢毅選手とともに活躍した。小学校教員を経て、事業家に転身、コンビニエンスストアを経営した。
3番・ライト 相澤雄司(前橋四中)
・あの日は
4回裏、先頭打者でセンター前へクリーンヒットを放つ。松本の四球で2塁に進むと、佐久間のタイムリーで先制のホームを踏む。1、2回戦通じて前高ナインで唯一の得点を記録した。
・あれから
慶応大学野球部に入り、3年次からベンチに入るなど活躍した。最後の慶早戦はチャンスに代打で出場、「何で俺にバンドのサイン?」と気が乗らず失敗。卒業後、住友信託銀行に入る。
4番・ピッチャー 松本稔(伊勢崎二中)
・あの日は
不調だった大会3日前、肘の位置を2、3㌢下げて投げたところ、直球が走り、カーブが曲がるようになったという。ストライクが先行、テンポよい投球リズムが野手の好守備を引き出した。
・あれから
筑波大では投手と外野手の二刀流で活躍する。大学院修了後、高校教諭となる。中央高校(現中央中等)で夏の甲子園に、母校でも春のセンバツにチームを導いた。現在は桐生高校。
5番・ファースト 佐久間秀人(前橋一中)
・あの日は
4回裏無死1、2塁のチャンスにバントの構えからヒッティングに転じ、三塁を強襲した打球は中前へ。貴重な先制点を叩き出した。1、2回戦通じて前高ナインで唯一の打点を記録した。
・あれから
松本とともに筑波大へ進学、野球部に入り内野手として活躍する。卒業後は高校教諭となり、高崎高や吉井高で監督を務める。還暦を迎えると、前橋還暦ボーイズに入り、いまも現役。
6番・キャッチャー 高野昇(前橋一中)
・あの日は
唯一の2年生として出場、松本を気持ちよく投げさせる控えめなリードで快投を引き出した。2回戦の福井商戦で四球を選ぶものの、無安打に終わった。2試合ともリードに神経を使った。
・あれから
3年生でも不動の捕手を務めた。秋季大会は3回戦、春季大会は3回戦、最後の夏の大会は初戦で榛名高に快勝したが、3回戦は太田高に敗れた。大学卒業後は大手証券会社に勤務した。
7番・レフト 石井彰(前橋五中)
・あの日は
一度も守備機会に恵まれず、打っても3打数とも内野ゴロ。「おれなんか、立ってただけだもんな」と自虐的に振り返る。2回戦は乱れた内野陣をしり目に3つの飛球を完璧に処理した。
・あれから
立教大に進学、準硬式野球部で活躍した。卒業後に勤めた東京スポーツではトラブルのあった「たけし軍団」と手締めの試合に唯一の甲子園経験者として出場した。サンケイスポーツの記者になる。
8番センター 茂木 慎司(前橋三中)
・あの日は
石井と同じく、1度も守備機会がなく、打っても3打数無安打に終わった。捲土重来を期した2回戦、3つの飛球を手堅く処理した。石井とともに大きな声で動揺する内野陣を励ました。
・あれから
慶応大に進学、野球部に入り4年間を過ごす。同期には巨人にドラフト1位指名された上田和明がいた。卒業後、川北のいたリクルートに入社、独立後は経営コンサルティングをしている。
9番セカンド 田口淳彦(群馬大附属中)
・あの日は
影の主役だった。7つの守備機会を完璧に処理した。ぼてぼての嫌なゴロもあり、スタンドは祈るような目で見ていた。2回戦は「らしさ」を発揮した。2試合で6打数2安打と打でも活躍。
・あれから
立教大に進み、ボート部で活躍。卒業後、故小渕恵三元首相の秘書を務めた。同姓がいたため優子代議士は「耳の田口さん」と呼んだ。家業の自動車整備会社を継ぎ、コバックを経営する。
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