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【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶77】
終わりに
2023.06.29
桐生高に40年ぶり雪辱果たす
2018(平成30)年3月。前橋市内北東側、赤城山麓の下沖町に移転したマエタカグラウンドでマエタカ対キリタカの「春の甲子園アベック出場40周年記念親善試合」が行われました。
両校ともに当時のメンバーを可能な限り招集。マエタカはフルメンバー、キリタカは木暮洋、阿久沢毅を筆頭にほぼフルメンバーとなりました。
40年前は練習試合2試合、秋季県大会決勝、春季県大会決勝、春季関東大会決勝とマエタカはキリタカに5戦全敗。何とか一矢報いたいとの思いで事前に練習も行って臨んだのです。
双方、還暦直前の体の老化もあり、守備も走塁もたどたどしく、転んだり落球したりの珍プレー続出の乱戦模様。マエタカは1つ先輩の樋澤一幸さんを代打に起用し、その快打でついに1点差の薄氷の勝利を挙げることができました。
負けず嫌いの揃っているキリタカからすぐに「再戦を」の声も出たものの、マエタカサイドは勝ち逃げスタイルで今のところ再戦予定は煙の中です。最後に勝ったものが勝ちなのだと。ベンチに置かれた田中不二夫監督の写真もそう笑っているように見えました。
仲間のありがたさを実感
こんなことが実現できたのは、マエタカの学年同級生有志の絶大なる尽力と結束に負うところに他なりません。
松本稔が母校マエタカ野球部監督として2002(平成14)年春の甲子園に出場した際にも、この同級生たちは多大なバックアップをしてくれました。
「思い出を共有し、一緒に活動する楽しさを共通体験してきた仲間がいる」ことのありがたさ、うれしさは何物にも代え難い財産だと改めて実感致しました。ただ、ただ感謝しかありません。
さらに、マエタカ野球部の同期8人がいまだに元気で健在であったこともありがたいこと。実際、田中監督をはじめとして、一緒に甲子園に行った下級生の何人かも、お世話になった方々の多くもすでに鬼籍に入っています。私たち8人も徐々にそうなっていくことでしょう。
名残惜しいですが、そろそろ締めくくりとさせていただきます。
野球というスポーツに魅せられて、あの2年数カ月の間、母校グラウンドで、純粋に、愚直に、懸命に、一つのボールを追いかけていたこと。それのみが間違いのないリアルでした。
マエタカ野球部員たちとともに。
野球部、学校全関係者とともに。
そして、すべての昭和高校球児のみなさんとともに。
かわきた・しげき
1960(昭和35)年、神奈川県生まれ。3歳の時に父親の転勤により群馬県前橋市へ転居する。群馬大附属中-前橋高―慶応大。1978(昭和53)年、前橋高野球部主将として第50回選抜高校野球大会に出場、完全試合を達成する。リクルートに入社、就業部門ごとMBOで独立、ザイマックスとなる。同社取締役。長男は人気お笑いコンビ「真空ジェシカ」の川北茂澄さん。
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