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【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶76】
エピローグ

2023.06.26

【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶76】
エピローグ

野球をくれた天にただ感謝

1978(昭和53)年夏の甲子園大会はPL学園高校が頂点に立った。準決勝中京高校戦、決勝高知商業高校戦と土壇場での逆転劇をみせ、ここから「逆転のPL」と異名を持つことになる。

「お互い目指すところは一緒…」と前橋高(マエタカ)野球部員に挨拶してくれた木戸克彦主将の手に真紅の優勝旗が渡ることとなった。

この大会は記念大会で各県1校出場であり、群馬からは県大会決勝で前橋工業高(マエコウ)を破った桐生高(キリタカ)が出場した。

▲桐生高は前橋高を破った前橋工に競り勝った

▲春夏連続で甲子園に出場した桐生高

▲滋賀県代表の膳所高に圧勝した桐生高

キリタカの初戦は滋賀県の膳所高校。木暮洋の左腕が冴えわたり完封で幸先よく勝利。この年の滋賀県勢は春の比叡山高校といい、群馬県勢との相性が最悪と言ってよかっただろう。

キリタカはこのまま勝ちあがりそうな勢いだったが、2回戦で岐阜県の県立岐阜商業高校に敗れた。キリタカが押していた展開だったのだが。

県大会準決勝敗戦の夜は野球部3年生8人で石井彰の家に泊まり、名残惜しさと解放感の入り混じった気持ちを共有して過ごした。

悲しくもあり、うれしくもあるあの感情は唯一、同級生8人でしか共感できなかったはずだ。新チームの始まる夜も、終わった夜も8人で過ごしたことになる。

そして、8月になると東京の姉の下宿先に宿泊しながら、御茶ノ水駅そばの駿河台予備校、「スンダイ」の名で有名だった予備校の夏期講習に通った。誰1人知り合いもおらず、女子も教室にいることにドキドキしながら、都会の垢ぬけた学生たちのファッションや会話に気後れしつつ過ごしていた。

姉の下宿にはテレビがなく、喫茶店や店頭のテレビまたはラジオで夏の甲子園を追っていた。参加していた者として結末まで見届けなければならないと思っていたのだ。

決勝戦後の閉会式、両校の場内一周とそこで流れる「栄冠は君に輝く」を最後まで聞き切った。

卒業、それぞれの道歩む

秋口、自宅で入浴中、両手の皮がボロボロとむけた。バットの素振り時に豆が出来ないように毎日軟膏を塗って皮を厚くしていたのだが、引退後からメンテナンスしなくなっていたのだ。

掌の皮が乾燥し、白くカサカサになっていたものが剥がれ落ち始めた。結構時間をかけてきれいにした。屈強に見えていた手がツルリンと弱々しく見え、知らず知らず涙が流れていた。本当に終わったのだと。

結局、川北の現役大学受験挑戦は壁に跳ね返され、両親の許しの元、地元群馬の予備校で浪人をさせてもらうことになった。

エースの松本稔とファーストの佐久間秀人はそろって筑波大へ、ショート堺晃彦は群馬大へ、いずれも教師への道を志して現役進学した。

ライトの相澤雄司は慶應義塾大学へ。この4人は大学野球舞台での挑戦も続けることになる。

一方、川北、田口淳彦、石井彰、茂木慎司の4名は浪人生となっていた。

浪人生の夏、また甲子園大会の季節が巡ってきた。母校マエタカは残念ながら県大会2戦目で敗退した。

1つ上の学年の望外の結果の騒動に振り回された世代、と言ったら彼らには申し訳ないかもしれない。川北たちとともに田中不二夫監督も退任しており、マエタカは新たなスタートを切っていた格好だった。

次に甲子園に手が届くのは2002(平成14)年春の選抜、松本が監督として率いて行くまで待たなければならない。

▲完全試合以来、センバツ甲子園に帰ってきた前橋高=2002年3月

感極まった比叡山高監督

この夏の群馬県代表はマエコウであった。捕手の泉正雄、腰塚和明、高橋一彦ら対戦した選手も出場していたので関心を持って見ていたところ、甲子園でも下馬評どおりに勝ち進み、なんと滋賀県の比叡山高と対戦することとなった。

比叡山高にも選抜で対戦した時のレギュラー選手たちがいた。前年対戦時に下級生だった捕手と元気者の内野手だ。2人はチームの中心選手となっており、監督も対戦した際の日下部明男監督だった。

試合は序盤から集中力、気力にみなぎっている比叡山高の一方的な勝利となった。試合終了後の勝利監督インタビュー。

アナウンサーに、「学校は違いますが、同じ群馬の前橋勢に完勝と言ってもよい勝利です。昨年の雪辱を果たせたと言ってよいのではありませんか?」と聞かれた日下部明男監督は一瞬言葉を飲み込んでから答えた。

「ええ…」

そう言って頷き、顔を伏せ、声を押し殺して泣いた。

テレビの前で川北もまた泣いた。涙が次から次に滴り落ちて来た。

前年の選抜甲子園後、地元に帰った比叡山高野球部は心ない野次を浴びるなど大変つらい日々を過ごしたと聞いていた。

川北たちマエタカ野球部は直後の福井商業高戦、雨中の0-14の記録的惨敗によって知らず知らずに天国と地獄のバランスが取れていたのだが、彼らはずっと地獄だったのだ。

彼らと対戦した際に見て、そして聞いた、彼ら同志の掛け合う声、交し合う目線、体全体を使ってメンバーコミュニケートする姿…。それらは間違いなく自分たちと一緒だった。

そう、純粋にボールを追い続ける、ひたむきな高校野球部員として共感し、心も体もシンクロしていたのだ。私たちは彼らであり、彼らは私たちだと。そしてこの勝利。

野球は残酷でもあり素晴らしくもあるとその時思った。

堺のケガ、松本の疲労があったとはいえ、チーム力を高めて最後にマエタカにリベンジしたマエコウ。その進化したマエコウにさらにリベンジした比叡山高。そんな対戦、巡り合わせの偶然と結果が生み出されること自体、なんと素晴らしいことか。

これらは決して約束されたものではない。その一瞬一瞬に各個人1人1人が全力で、全身全霊を込めて挑んでいるからゆえに織りなされたものなのだ。野球というスポーツをくれた天に、ただ、ただ、感謝しかできなかった。

「ありがとうございました…」と。