interview
聞きたい
【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶54】
高校3年春-3
2023.05.03
実力派選手そろう関東大会
春季大会は秋に続いて準優勝となり、春の関東大会への出場となった。日程間隔はほぼ二週間。開催地は埼玉県大宮市(現さいたま市)である。
関東大会は試合日程の関係で秋季は東京都代表が出場しないが、春季には出場する。開催県の埼玉が4校、他に山梨県を加えた7都県が各2校で計18校。
茨城県は鉾田第一高校と取手第二高校。取手第二は後に「木内マジック」で有名になった木内幸男さんが監督で、東洋大から阪神ほかで活躍する大野久がいた。
栃木県は宇都宮商業高校と作新学院高校。宇都宮商業には東京ガスから広島と中日で打棒を振るった大型打者、斎藤浩行がいた。
千葉県は我孫子高校と東海大浦安高校。我孫子には法政大で投げドラフト指名されたがプロ拒否した武藤信二、1年生ながら後に日大から阪神で活躍し、阪神監督も務めた和田豊がすでにレギュラーでいた。東海大浦安には2年生に東海大からヤクルトで投げる高野光がいた。
神奈川県は法政第二高校と武相高校。法政第二には法政大で1年生から打棒を振るった田辺浩昭がいた。
東京都は帝京高校と東大和高校。帝京は春の選抜にも出ていた。都立の東大和は監督の佐藤道輔先生が「甲子園の心を求めて」の著作で話題になっていた。
山梨県は日川高校と身延高校。日川には日大からロッテで投げる石川賢がいた。
開催県である埼玉県は上尾高校、所沢商業高校、大宮工業高校、川越工業高校。上尾には2年生ながら中日では野手で活躍する仁村徹が投げていた。
そして群馬県のキリタカとマエタカである。多士済々の大会であった。
仁村対策で折茂投手が協力
マエタカの初戦の相手は地元代表の上尾高校と決まった。先に書いたように2年生の仁村がエースで、サイドハンドの好投手として評判だった。
現地入りする前の練習でもサイドハンド対策の打ち込みをした。確か、富岡高校(トミオカ)の折茂政夫が練習に来てくれた記憶である。
群馬県内でも評判のサイドハンド投手がわざわざ打撃練習に投げてくれたのだ。捕手も一緒に来ていたから夏に向けたマエタカ対策情報収集も兼ねていたのかもしれない。せっかくの折茂の投球を無駄にしてはいけないとのことで、ストライクを見逃そうものなら結構な勢いでどやされたことを覚えている。
メイン会場の県営大宮球場は大宮公園内にあり、宿舎も公園内を歩いて球場に行ける場所に手配されていた。屋号は忘れてしまったが旅館を貸し切った格好であった。
マエタカは初戦から県営大宮球場ブロックで、キリタカは市営大宮球場ブロックであった。
開会式にそれなりの学校が揃うことは壮観ではあったが、少しばかり慣れもあったのだろうか、特別な記憶はない。
ただ、東京都代表の東大和の選手のスパイクが全員泥まみれだったのを覚えている。式典時にはスパイクを磨いて出るものだと思っていたので、あえて自然体で臨むこととしていたのか、直前まで練習していたのか定かではないが、独特の雰囲気を醸し出していた。
試合前日のお昼過ぎ。近場の高校のグラウンドを借りて練習をした。共学高校で女生徒の姿がチラホラ見えて少しドキドキした。バックネット裏に数名の女生徒がおり、その会話が聞こえた。
「うちの学校の野球部の子がここに入ったら間違いなく球拾いだよね」
「うんうん。レギュラーになんかなれっこないよね…」
それを聞いていた田口淳彦がボソッと言った。
「俺がここの学校の野球部にいたら、レギュラーになれたかなあ」
そしてにやりと笑った。世評というものの恐ろしさといい加減さをこういった機会に肌身に感じるのだった。「個々の能力が優れているがゆえに出せている戦果ではない」ことをみな腹の底まで認識していた。また、したり顔で解説をする女子っているよね…でもあった。
埼玉県王者に幸先よく先制
初戦の上尾戦。5月14日はよく晴れた日差しの強い日だった。このころの上尾は、後に浦和学院高校を立ち上げる名将、野本喜一郎監督が率いる埼玉県でも指折りの強豪校だった。
前年秋の関東大会にも出場していたのだが、この春は比較的、下級生がレギュラーに多かった。前記したサイドハンド投手の仁村、後に東洋大で主将を務め、桐生第一高校の監督となり全国制覇を成し遂げる福田治男も2年生内野手だった。
この福田と2年生外野手の市川司郎が桐生エリア出身の野球留学者だとキリタカの2年生ショート、原沢芳隆が教えてくれた。
「やつらに打たれないでくださいねえ~」の冷やかしコメントと一緒に。上尾は彼らが最上級生の翌年、甲子園でも強豪として活躍することになる。確か牛島和彦、香川伸行の浪商高校に9回までリードしながら牛島のホームランで惜敗していたのではなかったろうか。
試合前にサブグラウンドのようなところで両チームともアップを行った。やはり上尾高校選手の体格の良さは威圧的だった。
さあ試合。球場が外野まで観客が満杯で、立ち見が出ていたのに驚いた。大宮は上尾の地元エリアでもあり、春の埼玉の覇者として群馬の生意気な県立高を粉砕するのをみな楽しみにしていたのだろう。
先攻マエタカ。2回の表1死後、5番、佐久間秀人のヒット、6番、高野昇とのヒットエンドランで相手ミスもあり2塁、3塁。7番、石井彰のしぶといライト前タイムリーで2点を先取した。強気な攻撃が功を奏した格好だ。
その裏、上尾高校の攻撃。打者は例の市川。松本稔が投じた球。「あっ、甘い!」。川北が痛烈な打球を覚悟した瞬間、振り抜かれた打球はレフトスタンドに飛び込んでいた。
この時の球場のどよめきと喝采は凄まじいものがあった。さすがに失投は逃さない底力を見せつけてきた。これで2対1。
双方が点を取り合って試合が動くかと思われたが、その後は逆に緊迫した展開となった。仁村にインコースを上手く攻められたマエタカ。市川のホームランで打者が力み始め、それを松本に逆に利用された上尾高校。ゼロ行進が続く。
9回表、マエタカは4番、松本の内野安打、二盗。佐久間のセンター前タイムリーでだめ押しともいえる1点を挙げ3対1。試合はそのまま終わった。
県大会不振の石井に特訓の成果
上尾打線にいつ火が点くかビクビクしていたのだが、「あれ、これで終わり?」的な感覚であった。
翌日の野本喜一郎監督の新聞コメントが目を引いた。「外野をもう少し前にしておけば打たれたヒットの何本かは防げたと思う」
なるほどと思った。そうなのだ。恐らくマエタカが前年秋の関東準優勝、選抜甲子園出場チームということで、上尾側が警戒してポジショニングしていたことが裏目だったということなのだ。
松本に対する攻略法にしても然りだと思うが、相手が勝手に思い込んで負けていってくれる要素も少なからずあったのである。マエタカにとっては好循環以外の何物でもなかった。野球は本当に不思議なスポーツである。また勝ってしまったのだ。
翌日の新聞でさらに笑えたのは、先制タイムリーを打った石井への取材記事だった。「思ったようなスイングがここのところできず…」「帰宅してからも自宅庭で素振りを…」「気が付けば素振りが深夜に及ぶことも…」とあった。
スポーツドラマの一場面めいた表現だったのである。石井にしてみれば正直なコメントだったのだろうが、選手間では後々までも冷やかしの種となった。(アイキャッチ画像は練習試合後の桐生高校、松本監督をインタビューする石井記者)
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