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【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎47】
選抜甲子園-3

2023.04.21

【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎47】
選抜甲子園-3

プロで活躍する名選手ずらり

組み合わせ抽選会に全員で出席した。大阪毎日ホールだったろうか。各校指定された席に座った。印旛高校、桐生高校の前後で雑談も交わした。

▲大阪毎日ホールで開かれた組み合わせ抽選会

会場入り口でPL学園高校の選手にも会い、「マエバシ頑張れよ」と声を掛けられた。ちょっとうれしかった。

この大会に出ていた有名どころ、まずはPLのバッテリー、西田真二と木戸克彦だ。

さらに、南陽工業高校、後に広島の「炎のストッパー」となる津田恒実。南宇和高校から日本ハム入りする投手、田中富生。早稲田実業高校、中日の川又米利。豊見城高校、阪急・オリックスの石嶺和彦。

1学年下の浪商高校、牛島和彦と香川伸行のバッテリー。同じく1学年下の箕島高校、翌年の春夏を制する石井毅と嶋田宗彦のバッテリーがいた。

会場でこういった選手たちを見るごとに「お~」「へ~」と感嘆していた。一方で日ごろ、普通に会話していたキリタカの木暮洋や阿久沢毅が、他校の選手から結構、特別視されているのも見て、何やら誇らしかった。

各校主将が壇上に呼ばれて川北は向かった。いよいよ抽選会である。初戦は東西対決となるように抽選箱が2つあった。この年は西が奇数番号で、1を引いた学校の主将が選手宣誓をすることになっていた。緊張しやすい川北が選手宣誓をする可能性はゼロであり、そこは気が楽であった。

PLと印旛、豊見城と桐生など会場が涌く組み合わせが次々と決まり、選手宣誓も奈良県の郡山高校主将となった。

▲抽選箱から引いた番号は24番

▲初戦の相手が決まり、さっそく相手校を調べる

初戦の相手は比叡山に決まる

川北の番となり箱の中からくじを取りマイク前で読み上げた。

「前橋高校24番」

一瞬の沈黙の後、同行していた若手OB、1学年先輩の樋澤一幸さんの「やったー!」という声が会場に響き渡った。この叫びの意味を図りかねて会場は一時ザワザワした。

大会4日目、すでに相手高の名は向かい側に下がっていた。滋賀県の比叡山高校だった。

対戦の決まった相手校主将との握手撮影、取材対応があった。比叡山高校は秋の近畿大会ベスト8、全国的にも一定レベルの強豪校として名が通っていた。

先方主将の松川淳が盛んに「前橋は関東大会の準優勝校だから胸を借りるつもりで」と言っていたのが他人ごとに聞こえて仕方なかった。自分たちを評されている実感がまったくなかったのだ。

マエタカは出場校中、戦力値は間違いなく一番下のレベルであったはずだ。そのことは正しく自覚していた。

▲比叡山高校主将と握手する川北主将(左)

チームの席に戻るとみなが「ちょうどよい日程」「似ているチームとの対戦」との評価で二重丸をもらった感触であった。まあ、どことやっても挑戦者であることは変わらない開き直りもあったが。

そこまで緊張していたのだろう。川北は恥ずかしながら抽選会の帰路から発熱し、寝込んでしまった。風邪との診断でみなとは別室、離れに隔離された。うれしいことに練習も欠席となった。

ちなみに風邪っぴきが出たことで窯風呂は禁止になってしまった。到着日に窯風呂に呼び込んだおじいさんが肩をすぼめていた。

開会式前日、予行演習が甲子園であった。すべてが本番さながらで、川北はフラフラしながら参加した。先生からは「無理しなくていい。スタンドで見てるか?」と言われたが、断固として参加した。

選抜は校名プラカードを持ってくれるのはボーイスカウトだが、その後ろを学校の旗を持って先頭を歩くのが主将の務めだった。大会旗掲揚時にはスコアボードで他校の主将たちと綱を引っ張り、選手宣誓時には学校の旗をかざして宣誓者を囲む役割もあった。正直見せ場であったのだ。欠席などありえなかった。

予行演習後はまた離れで寝ていた。みなから少しうらやましそうな視線を受けた。

田口と柴田をトレード!?

3月27日、開会式本番。大会テーマ曲、松崎しげるさんの『愛のメモリー』のマーチ編曲が響き渡り、「ただいまより第50回…選手!入場!」と入場行進が始まった。

入場ゲートをくぐる直前まで、行進で前後するマエタカ、田口淳彦とキリタカの二塁手、柴田敦とを入れ替えて行進足踏みをしたりしていた。親しくなっていたキリタカ、マエタカならではであったろう。

キリタカは大会初日に優勝候補の一角だった豊見城高校との対戦を控えていたはずだったが。

▲胸躍る入場行進

空は曇り気味、微風が心地よい日であった。入場行進時、スパイクがグラウンドにサクサクと刺さった感触が足裏に残っている。

宿に戻り、キリタカと豊見城の試合を一部テレビで見た。豊見城は有名な裁弘義監督が鍛え上げて前年の春夏に続く出場。神里昌二、石嶺和彦のバッテリーを投打の中心としたチームであった。特に石嶺和彦の打棒は注目の的であった。

キリタカの木暮洋も大会注目の左腕で、立ち上がりから切れのよいストレートとカーブを投げ込んでいた。石嶺との対決、マエタカがあれほど打ちあぐねる木暮の球を軽々と打ち返す打棒にまず驚いた。通常なら右中間、左中間の長打になった当たりと思うが、キリタカ主将、センター、和田真作の守備位置が2度、木暮とキリタカを救った。

3対1、キリタカが勝った。仲がよく身近だったキリタカの勝利は「よし、俺たちも」と勇気をもらうこととなった。

発熱したので隔離部屋で寝ていたのは当初、川北だけだったが、下級生の大館勉も風邪をひき、相澤雄司も「俺、何か熱っぽいよ~」と転がり込んできた。計3人となった。

暇なので甲子園の試合の中継をずっと流していた。正直、対戦チーム同士の凡プレーが続いていた。

「しょうがない試合やってんだな~」

「本当だよ。つまんね~」

などと勝手なことを放言していた。見ていたその試合の勝者は浜松商業高校で、実はこの大会の優勝校となるのだった。

医者から薬も処方されており川北の熱も下がってきた。トイレに行くと田中不二夫監督と小便器で隣になった。

「具合はどうだ?」

「もう熱も下がってきました」

「そうか。どれどれ…」

川北の放尿を覗き込んできた。「えっ?」と思ったが、「うん。小便の色も濃くないな。もう大丈夫そうだ」。

「はあ」

何とか試合には間に合いそうであった。

かわきた・しげき

1960(昭和35)年、神奈川県生まれ。3歳の時に父親の転勤により群馬県前橋市へ転居する。群馬大附属中-前橋高―慶応大。1978(昭和53)年、前橋高野球部主将として第50回選抜高校野球大会に出場、完全試合を達成する。リクルートに入社、就業部門ごとMBOで独立、ザイマックスとなる。同社取締役。長男は人気お笑いコンビ「真空ジェシカ」の川北茂澄さん。