interview
聞きたい
【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎32】
高校2年夏新チーム-4
2023.04.02
黄金メンバーのマエコウ破る
8月31日、いつものように学校で練習を開始したところに、困ったような身振りで戸部正行先生が来た。
「参ったよ~、マエコウ(前橋工業高)からの練習試合の申し込み、断ったはずなのに、向こうは今日待ってるっていうんさ。今日は監督もいなくてさ」
「えっ、どうしましょう?」
「仕方ないからマエコウにいまから行こう。道具は俺の車で運ぶから」
「練習試合用のユニフォーム持ってきてませんから、練習着でいいですよね」
当時、学校名の入った黄色味のある練習試合用ユニフォームがあった。特別良い品ではなく木綿生地でダボダボしていたが。練習着は無地の白地で、ズボンの真後ろのベルトを通すところに太字マジックで大きくそれぞれの個人名前が書いてあるようなものだ。
「うん。向こうはダブルヘッダーのはずだって言ってるけど、何とか1試合にするよ。昼飯準備もないもんなあ」
「分かりました。道具を積んだら自転車で向かいます」
天下のマエコウ相手の対応。我らがマエタカ野球部も偉くなったものである。仕方ないなあ感満載でマエコウのグランドに着くと、グランドは試合仕様にしっかりと整備され、マエコウ選手たちはネーム入りユニフォームをしっかりと着ていた。
マエコウからすると前年度チームで野次に屈したにっくきマエタカを、新年度チームの初めで徹底的に粉砕して苦手意識を一掃するための設定だったのだろう。
選手層の薄いマエタカ相手であればダブルヘッダーを組めば万が一にも一つは勝てるとも踏んでいたのではないか。キリタカといいマエコウといい、強豪校に意識される存在にマエタカはなっていたのだった。
ところが試合は1試合のみで、マエタカが六対〇ですっと勝ってしまった。
マエコウにはこの時、後に青山学院大、東京ガスで活躍する高桑徹、早稲田大で活躍する泉正雄、国士館大で活躍する谷中田優が試合に出ており、東京ガスからロッテに入る大型左打ちのスラッガー高橋忠一、日本石油から大洋(現DeNA)に入る大型右腕、高橋一彦らそうそうたるメンバーがいたチームだった。
それ以外にも中学野球で名の売れた選手が多数いたのだ。この日のマエコウの投手は谷中田だったが、マエタカ側からすると前年秋にほとんど打てなかった鋭いドロップの左腕、古井戸浩通投手もいるはずと思っていた。
闘志を見せた2年生、高野
特別な試合展開の記憶は余りない。「え、ああ、これで勝てちゃうんだ」が実感であった。
川北の記憶にあることといえば、第1打席初球、川北にしては珍しい痛烈なファースト強襲ヒットを放ち、次打者初球の盗塁のサインで走ったもののアウトになってすぐベンチに戻ったこと。
2打席目ではアウトコースを外に逃げてゆくシュートで攻められて打ち取られたこと程度である。
スイング始動時にバットヘッドが垂れて下がってしまいやすかったのだが、その日に松本稔からバックスイング時に押し手の握りを深くする動きのヒントを貰い、第1打席は初球の内角球をジャストミートできたのだった。
この試合で1年生捕手、高野昇が闘志を見せた場面があった。
鈍足であった高野がセカンドランナーで、マエコウのショート、名手、高桑に牽制されて翻弄されていたときだ。高桑は高野の背後から影の動きや足元へ砂を飛ばす動きを使っていたのだが、それに業を煮やした高野が足元の砂を蹴って飛ばし返したのである。
「そんなことしてる間に帰塁しろ!」とは言いながら、高野の負けん気にみな笑っていた。
野球の名門マエコウとしては、マエタカが本当に嫌で苦手なチームになっていたことだろう。
用務員室での監督、顧問、OB
こうして2年時の夏休みは過ぎていった。前年とはうって変わり、有難いことにこの夏は冷夏であった。練習内容も基礎練習よりは実戦練習が多めだった。
1年時と2年時の感じ方の違いかもしれない。全体の練習メニューについて川北の意志は当時あまりなく、指示されたメニューをこなしていたのみ。大きな流れはどう考えられていたのか正直分からなかった。日々必死に精一杯過ごしていただけだった。
監督、顧問の先生方、OB諸氏は練習後に学校用務員室で談笑されていた記憶がある。
一つ先輩の中林毅から聞いた話だが、何かの連絡で中林がそこに行った際に、戸部先生が話しながら週刊誌のページをめくったら思い切りヌードグラビアのページとなり、直ぐに先生は週刊誌を閉じた。何事もなかったように…といった笑い話もある。
ただ、そこでいろいろとチームの育成方針その他は語られていたようである。少なくとも監督、先生方、OB諸氏の間の指導を巡ってのブレはあまり感じなかった。意志疎通、認識共有がしっかりなされていたのだろう。
社会人として年を経て、そういったことの大事さを改めて実感する。背景をなす大きな底流共有があり、それにのっとった日々がある。それによって少しずつ物事は進化し、成長する。
いまにして思えば川北は先のことを考える余裕などまったくなく、日々毎日を精一杯全力で過ごしていただけであった。この日々毎日が正しく積みあがるかどうかはこの用務員室での大人たちの談笑が演出していたということになる。
感謝の思いしかない。用務員室で談笑する大人になれているか自らに問いかけるが、心もとなさに少し恥ずかしくなる。
このころの川北の実感は、チームは県内まあまあの水準にはなっているかな、程度であった。正直、前々年度、前年度のチームのレベルにはとても達していないと思っていた。
口の悪いOBからは「お前たちは、去年、一昨年のチームの足元にも及ばないよ!」と言われていた。自分たちも本心からそう思っていたし、事実そうであったといまでも思っている。
かわきた・しげき
1960(昭和35)年、神奈川県生まれ。3歳の時に父親の転勤により群馬県前橋市へ転居する。群馬大附属中-前橋高―慶応大。1978(昭和53)年、前橋高野球部主将として第50回選抜高校野球大会に出場、完全試合を達成する。リクルートに入社、就業部門ごとMBOで独立、ザイマックスとなる。同社取締役。長男は人気お笑いコンビ「真空ジェシカ」の川北茂澄さん。
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