interview
聞きたい
【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎15】
高校1年夏新チーム-4
2023.03.08
バント、リード 基礎練習に励む
この夏にじっくり全員で取り組んだ基礎練習は後々、本当に貴重なものとなった。
個々人の習熟度にはもちろん差異があったが、同じ基本を学び、実践し、それぞれがどのくらいそれをこなせるようになっているかを相互に知っている状態。これはチームとしての目線共感の高さに間違いなく結びついていた。
バントトスを散々やった後に全員でバント練習もきっちり量をこなした。基本パターンはボールを握るようにバットのマーク部分を握り、投球をバットの芯に当てるのだった。
芯に当てるとプッシュバントのように弾くかと思いきや、ボールがそこそこ穏やかに転がるのが不思議だった。
両足スタンスは投手に向かって揃えてしまうとカーブなど縦の変化に対応しにくくなる。動作も大きくなる。なので、ヒッティング時と同様の足のスタンスを基本とした。
一塁側と三塁側、特に右打者がバットヘッドを投球に負けさせないように立てて行う三塁側バントを多くこなした。セカンドランナーをサードへ送る際にはサードに捕らせるバントをチームの基本にしたのであった。
バント練習の際に、バントの構えをしてキャッチャーの目線から投球をバットで隠し、ギリギリでバットを引く練習も行った。
バントの構えで相手を牽制する際、もしくは盗塁時に走者を援護する対応としての練習だった。この練習は見るのとやるのと大違いで難易度が高く、体で覚えていないと実践は難しかっただろう。
上手にやれるとキャッチャーはまともに捕球できない。全員が共通の技を体得することとなったのだった。
ランナーとしてのリードの取り方、牽制球への対応練習も行った。川北は少年野球時に教えてもらった、リードの際につま先と踵を交互に動かして徐々にベースから出て行くやり方を当初していたが、「それはダメなやつね。踵に体重が乗った瞬間に牽制されたら逆モーションになるよ」。
なるほどである。常につま先体重で右投手の右足踵を見つめるようにといわれ、体に染み込ませようとした。
帰塁時のベースタッチは右手、が型になっていれば、かなりのリードが可能であることも分かった。ただし、それは帰塁のみ意識の場合で、実際は盗塁やエンドランのサインが出ているゴーのケース、ゴー&バック半々のケースと使い分けが必要になる。
この使い分けが川北は最後までうまくできなかった。いつも頭の中にサインや起こりうるケースすべてを浮かべていないと不安になってしまい、集中しきれず、結局、中途半端なリードしかできなかった。
まっすぐ走ることにおいて川北はそこそこの水準ではあったし、一年生部員の中では一番速かったと言ってよい。
が、その走力は打者走者としては強力な武器となったが、塁上の走者としては生かしきれなかった。実際よく牽制でアウトにもなった。その後、さらなる練習に取り組みはしたものの、むしろ上手くできない自覚の方が試合では有効だとも気付くのであった。
野球脳に優れた二遊間 芸術的牽制
前年チームからショートの安藤敏彦、セカンドの中林毅が残り、安藤が主将、中林が副主将ということで守備の軸の強固さがこのチームの売りとなることは前述したが、安藤は経験豊富かつ野球脳にも優れていた。
緻密な牽制プレーのサインを考え、ピッチャーの小出昌彦も含めた3人で、セカンドランナーの誘い出しパターンを数種類綿密に企画していた。
特にセカンドもしくはショートがスピードをもって二塁に入り、ランナーを慌てて帰塁させてから離れ、ホッとしたランナーが再度離塁始めた瞬間に、最初に入った方ではない守備者がランナー視界の後方から入って逆モーションで仕留める牽制は芸術的でもあった。試合で何度もピンチを切り抜ける場面があった。
相手攻撃時、ランナー一塁三塁時のダブルスチール対応もまた芸術的であった。
一塁ランナーのスタートに対してキャッチャーは二塁刺殺送球をし、ショートは二塁、セカンドは投手と二塁の中間に走り込み、三塁ランナーがホームへスタートを切ればセカンドが送球を途中カットしてホームに送球。スタートを切らなければ送球をスルーして二塁で刺殺した。
高難易度プレーであり、もちろん繰り返し練習をしたのであるが、試合でもまったくスキを見せずに再現していた。あの完成度は驚異的だったといってもよい。
こういったプレーの練習も13人しかいなかったがゆえに、周辺の守備者やランナー役をみなでシェアして共有していた。ランナーとしての訓練にもなったし、チームで持っている引き出し内の技のレベルをみなで共有していることともなった。
何よりも実戦でうまくいった際には13人全員が喜びをシュアできた。すべてが自分の技であり、自分の練習の成果でもあったからである。
過酷な夏、銀幕の世界で一息
雨で早上がりとなった練習帰りに2年の安藤、中林と1年数人で映画を見た。この年の夏話題の衝撃作「スナッフ」。映画内容はルーズなアメリカンヒッピーライフものだったろうか。
本編最終シーンにカットがかかってから名もない主演女優が撮影班に殺害される…といった触れ込みで、そのシーンが本当の殺人シーンなのではないかと話題だったのだ。あらかじめ映画を見ようと計画していたのであれば絶対に見ることのない作品だった。
案の定、まったく内容はなく、話題のシーンもそれほど激しいスプラッターではなかった。なぜ殺すのかの流れもなく、最後に「やばい、逃げろ!」の字幕と同時にフィルムが途切れる。明らかにセールスプロモート用に創作された超C級品であった。
ただ、こんな場合の「はずれ」は後々の笑い話になり、かえって記憶に残るものだ。
安藤がオートバイシーンが続いた場面をもじって、「しょーがなかったよなー、ダダダダーンダダ♪、ダダダダーンダダ♪」とチョッパーハンドルバイクに跨っているゼスチャーをしていた。みなで「はずれ」を引いた楽しい思い出になったのだった。
こうして長い長い過酷な夏休みは終わった。
13人ではあったが、一度に最大4人ほどが熱を出したり部分的に故障したりして練習を休んだこともあった。そんな時はウォームアップランニングが縦隊列ではなく3人3人の正方形で、笑うしかなかった。
この期間中、引退した3年生が学校に来られ、海水パンツ姿でセンター後方のプールから、「おーいっ!頑張れよー!」と手を振ってくれる姿を何度か見た。
受験勉強への切り替え期間で、息抜きを兼ねての来校だったと思うが、野球部員であれば飲むことのないコーラの1㍑ボトルで喉を潤す、これみよがしの姿には笑うしかなかった。そこまで振り切れていればまったく別世界と思えた。
「やってますねーっ!」
笑顔で、大声で返しながら、夏を乗り越えて少しだけ何かを身につけた気がしていた。
かわきた・しげき
1960(昭和35)年、神奈川県生まれ。3歳の時に父親の転勤により群馬県前橋市へ転居する。群馬大附属中-前橋高―慶応大。1978(昭和53)年、前橋高野球部主将として第50回選抜高校野球大会に出場、完全試合を達成する。リクルートに入社、就業部門ごとMBOで独立、ザイマックスとなる。同社取締役。長男は人気お笑いコンビ「真空ジェシカ」の川北茂澄さん。