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【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎8】
高校1年春-4

2023.02.27

【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎8】
高校1年春-4

選抜ノーノ―の剛腕・戸田と対戦

関東大会での初戦の相手は地元茨城県の鉾田第一高校と決まった。誰しもが「おっ!」と反応した。

鉾田第一高校はその年の春の選抜甲子園に出場しており、左腕の戸田秀明投手は甲子園でノーヒットノーランを達成した剛腕。全国指折りの投手だったからだ。

選抜甲子園では優勝した広島の崇徳高校を最終盤までキリキリ舞いさせていたのである。この崇徳高校メンバーは後にプロ選手が3人出ているレベルだったのに、である。

左投げ選手のいない我らがマエタカは高崎鉄道管理局など複数の左利きOBの協力を得て左投手を打つ対策練習を行い水戸入りした。

遠征時の練習場所は地元の学校のグラウンドを借りることが多い。水戸商業高校のグラウンドでは前の時間帯で練習していた栃木の小山高校の練習を垣間見ることができた。

この年、小山高校は春の甲子園準優勝チームだった。テレビで見ていた初見幸洋投手、黒田光弘選手、多賀谷成典選手を直に見て、その体躯の迫力と打球の速さ、放物線の高さに圧倒された。

両校の監督、部長の雑談で「うちは雨が降ったら、そうですねえ、思い切って一週間練習を休ませます。アッハッハッ~」との小山側のコメントを聞いたマエタカの選手達は一瞬にして上級生から下級生まで全員が目線を交わした。言うまでもなく、「いいなあ~」であった。

水戸遠征中、練習以外は宿舎にいたが、夜間、川北は2年生の小出昌彦に誘われて周囲をランニングした。小出は前橋五中出身の球速のある控え投手で、人見知りと言ってよかっただろうか。

どちらかというと飄々としていたのだが、エース石山佳治の状態から登板の可能性を感じ取っていたのだろう。何かをしていなくてはいられなかったのではないだろうか。

ランニングをしながら、「お前、秋からはファーストを取れよ」と言われて川北はドキリとした。そうか、3年生は夏までで、そこからは1、2年生のチームになるのだ。

今のことに精一杯であった川北にはまったくその意識がなく、不意をつかれて何も返事できなかった。正直に言うと、認識の欠落には気づいたが新たな思考の芽にはならなかった。今を精一杯…がすぐに欠落を埋めてしまったからである。

斉藤の安打で一矢報いる

県営水戸球場で関東大会1回戦、対鉾田第一高校戦は行われた。

マエタカは石山を何とか登板させた。

一方、鉾田第一高校は戸田投手がおたふく風邪からの回復途上で控え投手が先発した。観客も戸田投手を楽しみにしていたのだろう。ほぼ満席で、先発投手名がアナウンスされた時には落胆のどよめきがあった。

▲鉾田一高戦、6回裏、小泉が果敢にホームを狙うがタッチアウト

実際、試合前の練習で実物の戸田投手を目の当たりにして衝撃を受けた。さほど上背はないが広い肩幅、分厚い胴体、喩えは悪いかもしれないがゴリラのような上半身であり、下半身は象のようであった。

右翼側でキャッチボールをしていたが、ゆっくりとヒョイっと投げたボールが、遠目だったが間違いなくホップしていた。戸田投手が投げるたびに観客はどよめいた。マウンドから全力で投げられたら一体どうなるのか…。思わずブルっとせざるを得なかった。

試合展開は、やはり本調子でない石山が地元の声援を受ける鉾田第一高校に序盤で得点されてしまい、マウンドを宮内武に譲らざるをえなかった。

▲積極的に打って出る安藤

ほぼ試合の趨勢は決したか、のタイミングで戸田投手が登板した。地元顔見世といったところか。

投球練習。その凄まじさに圧倒された。病み上がりで球のバラツキは仕方ないだろうが、威圧的な厚みのある体躯が凄まじい力感で回転し、球を地面に叩きつけるようなフォーム。上背はさほどないのだがステップ歩幅も広く、巨躯が打者に体当たりしてくるようなダイナミックな体重移動。ほとばしる迫力があった。

投球練習の1球目は正直、球が見えなかった。習慣的に思っている投球軌道とは全く異なる軌道だったからだろう。観客のどよめきも凄かった。

しかし、それでキリキリ舞いで終わり、ではなかった。病み上がりで球筋が定まらず四球もあったし、何といってもマエタカ3番、斉藤利道が右翼前にヒットを放ったのだ。甲子園のノーヒットノーラン投手から。

「なめんなよ、お前を打つためにわざわざ来たんだよ!」

「そーだよ、お前を打つ練習をして来たんだよ!」

斉藤のヒット時にはここぞとばかりにみなが吠えた。残念ながら敗退となったが一矢報いた感を抱くことができた。

深刻なエース石山の腰痛

しかし、石山の容態の悪さを表す出来事も試合中にあった。石山が長打性の打球を放ち、一塁を回って二塁へ疾走している時に、普段は冷静な田中不二夫監督がベンチ前に飛び出し、「石山!無理するな!石山!無理するな!」と聞いたことのないトーンの叫び声を上げたのだ。

容態について日常会話されることはなかったが、投手出身の田中監督がいかに石山の容態を気遣っていたかが現れ、また本当に良くないのだと思い知らされた。

▲春の王者に輝いたチームの主力3年生

こうして関東大会から戻り、いよいよ川北たちにとっては初めての夏の大会への準備が始まるのである。

ちなみにこの関東大会の優勝校は当時まだ新興チームだった東京の桜美林高校であった。この大会での優勝の勢いを持ったまま夏の東京予選、甲子園も勝ち抜き、全国制覇へ突き進んだのであった。

かわきた・しげき

1960(昭和35)年、神奈川県生まれ。3歳の時に父親の転勤により群馬県前橋市へ転居する。群馬大附属中-前橋高―慶応大。1978(昭和53)年、前橋高野球部主将として第50回選抜高校野球大会に出場、完全試合を達成する。リクルートに入社、就業部門ごとMBOで独立、ザイマックスとなる。同社取締役。長男は人気お笑いコンビ「真空ジェシカ」の川北茂澄さん。