interview
聞きたい
【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキー▶︎7】
高校1年春-3
2023.02.26
宿敵タカタカと激突
春季県大会は4月に始まっていた。我らがマエタカは幸いにも勝ち進んでいった。
準々決勝から会場は高崎の城南球場と決まっていた。相手は宿敵・高崎高校(タカタカ)である。
県内で前橋市と高崎市はすべてにおいてしのぎを削るライバル関係にあった。明治時代に県庁誘致を競い合ったところが起源らしい。
高校においても同様である。野球においては東京六大学野球の早慶戦になぞらえられて群馬の早慶戦などと言われてもいた。
不思議とユニフォームもタカタカは早稲田カラーであり、マエタカはストッキングが慶応カラーであった。応援団もタカタカは早稲田大学応援団のコンバットマーチを使い、マエタカは慶応大学応援指導部のダッシュケイオーを使っていた。
当時のスクールカラーで言うとバンカラ度はタカタカが上回っていたのだろうか、学校の所在地が高崎・観音山の麓であったので「山猿」と評され、マエタカは「動物園の猿」と言われていた。
東京大学をはじめとした国立上位大学への進学数はタカタカが若干上回り、医学部進学者はマエタカが上回っていたこともその背景にあったかもしれない。
準々決勝は両校の生徒、OB、一般の野球ファンの熱気でムンムンする中で行われ、マエタカが勝利した。ベンチ、選手も一体となって敵意をほとばしらせた。
マエタカのチャンスにタカタカは一塁手と三塁手がバッターの目の前までダッシュしてくるような極端なバントシフトを敷いてきた。2番打者、安藤敏彦へのサインはバントだったが、安藤がバスター強攻に自らの判断で切り替えた。前進してきた三塁手の横を痛烈な打球が抜けた際には「決めつけんなよ。バーカ!こっちは頭使ってんだよ!」
「ざまーみやがれ、猿山に帰れ!」と大喝采であったし、川北にとっては、そんなプレーに対応できるチームの一員にいることが誇らしかった。もちろん、「考えなきゃだめだろ!考えなきゃ!」と絶叫もしていた。
県内NO.1投手・大須賀を攻略
準決勝は同じく高崎城南球場。相手は富岡高校(トミオカ)だった。
トミオカには後に東京六大学の立教大学に進学し、エースとして活躍する大須賀誠一投手が君臨していた。下級生時代から剛球投手として鳴らし、左足をリズミカルに高々と上げて真っ向から投げ下ろしてくる投球には凄味があった。この年の県内ナンバーワン投手と言ってよかっただろう。
この試合は川北の中学からの先輩、9番バッターだった中林毅が大活躍して僅差で勝利した。大須賀投手の火の玉ストレートを試合終盤と延長と、2打席連続で打ち砕いて長打としたのである。
ちなみに春季大会のベンチ入りメンバーは当時上限17人で、1年生は入部順に背番号をいただけていた。なので川北は17番のユニフォームを着てベンチ入りし、スコアブックをつけていた。
中林の火の玉打球が左中間を切り裂いていった光景は目に焼き付くものだった。トミオカ戦勝利の興奮冷めやらぬ中、道具荷物を持ってバスへ向かう途中で、中学時代の野球部顧問の大宮正幸先生に会った。
「川北君、頑張っているようだね」
「応援に来てくださったんですね!」
「そうだよ。凄いな中林は。お前もよい先輩もって良かったなあ!」
みなが勝利に興奮し、勢いを感じていた。
22年ぶり県大会を制す
決勝戦はその勢いのままであった。相手は関東学園高校(カンガク、現在の関東学園大附属高校)。ここにも後に社会人の富士重工から阪急ブレーブス(現オリックスバファローズ)入りする長身右腕の谷良治投手がいたが、堅実な攻撃で得た得点をエース・石山佳治の好投で抑えきり、なんと優勝を飾ったのである。マエタカ22年ぶりの快挙であった。
1年生にとってはいきなりの県大会優勝はもちろんうれしかったが、日々の練習で「とてもあんな風にプレーできない」と感じていた先輩たちのレベルが県大会優勝レベルであったことは一つの物差しとなった。「あんな風にやれれば優勝も可能」を実感できたのである。
この時のレギュラー選手は以下の通り。
・投手 石山佳治(3年・前橋一中)下手からのキレのある速球、変化球が武器
・捕手 原田実(3年・前橋三中)陽気な元気印の長身選手
・一塁 外池悟(3年・桂萱中)ライナー性の打球を放つ4番打者
・二塁 中林毅(2年・群大附属中)メンタル頑強な川北の先輩
・三塁 宮内武(2年・前橋四中)小柄ながら物おじしない強気な勝負師
・遊撃 安藤敏彦(2年・前橋一中)運動神経&野球頭脳抜群な中学県優勝チーム主将
・左翼 斉藤利道(3年・前橋七中)安定感ある守備、シュアな3番打者
・中堅 小泉雄一(3年・前橋五中)走攻守どれも一級品の大型アスリート選手で主将
・右翼 中島聡(3年・吉岡中)独特のタイミングでの打撃。努力家
3年生は上背もあり迫力があった。新入生では小柄なもののスイングスピードの速い相澤雄司が右翼で試合に起用される場面が増え始めていた。右投げ左打ちで、体幹の強いシャープなクラッチヒッター。物怖じしない気の強さも実戦向きであった。
エース石山の腰痛悪化
春季県大会は優勝、準優勝の2校が関東大会に出場となる。この年は茨城県の水戸で開催であった。
誰もが関東大会出場に興奮して期待を膨らませていたが、エースの石山は腰痛を悪化させていた。下手投げという変則フォーム、春季大会の緊張下での力投など原因はいくつもあった。
川北は石山に頼まれて道具小屋の中で石山の腰にサロメチールを分厚く塗った。ご存じの方も多いと思うが、サロメチールは塗ってしばらくしてから患部が猛烈に熱くなり、それによって放射熱を奪う冷却用塗り薬だ。少量でもかなり激しく効く。
サロメチールが少しでもついた指で目を掻いたりすればとんでもないことになる。その劇薬をセメントのように分厚く塗ってくれと言われて、石山がどれほどの痛みに耐えているのか戦慄せざるを得なかった。
かわきた・しげき
1960(昭和35)年、神奈川県生まれ。3歳の時に父親の転勤により群馬県前橋市へ転居する。群馬大附属中-前橋高―慶応大。1978(昭和53)年、前橋高野球部主将として第50回選抜高校野球大会に出場、完全試合を達成する。リクルートに入社、就業部門ごとMBOで独立、ザイマックスとなる。同社取締役。長男は人気お笑いコンビ「真空ジェシカ」の川北茂澄さん。
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