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聞きたい

【聞きたい藤本壮介×平田晃久3▶︎】
建築にいざなった少年時代の体験

2022.11.26

【聞きたい藤本壮介×平田晃久3▶︎】
建築にいざなった少年時代の体験

物理学や数学に興味を持っていた藤本壮介さん。昆虫少年で野山を走り回っていた平田晃久さん。平田さんは大学入試の直前になって建築学科に志望を変更。藤本さんは大学に入ってから建築学科に決めました。どんないきさつがあったのでしょうか。

コンクリートの建築が嫌い

橋本 お二人は中学、高校時代、どういう職業に就こうかとか夢見ていましたか。

藤本 中2くらいのときかな、たまたま親父が持っていたガウディの写真集を本棚から発見して。建築って創造性豊かなクリエイティブな仕事なんだなと、その時初めて知りました。

高校に入ると、僕は物理学や数学に興味が出てきたんです。これも親父の本棚にあったアインシュタインの理論を一般の人向けに面白おかしく説明した本を読んだら、新しい発想で世界を捉えて、我々の常識を書き換えるのがかっこいいなと。

▲物理学や数学に興味があったという藤本さん

橋本 クリエイティブに触れた瞬間というのが、かなり高度な次元でしたね。平田さんはどうでしたか。

平田 僕は昆虫少年だったんですよ。夏休みは一日中、虫取り網を持って野山を走り回るような。

大阪のニュータウンといわれるような場所の出身ですけど、周りの集落で開発されなかった敷地が入り込んで、田んぼなんかも結構あったんですよね。自分が住んでいる、割と近代的な建物と周りの環境があまりにも違うなと思って。自分だったらもうちょっと、自然環境のような建物が造れるんじゃないかって、大学に入る直前に思い建築学科に進みました。

博物館なんかに行った時、コンクリートの建築とかあるんですけど、そういう建築がすごく嫌な感覚があって。そうじゃない建物を作りたいっていう。そういう思いが建築の方に行かせたのかなと思いますね。直前まで、理学部や農学部で模試を受けていました。最後の最後で工学部にしました。

▲大学入試直前で建築学科を選択した平田さん

藤本 いきなり工学部建築学科に。それとも何年かして建築学科に入ったの?

平田 京大は直接、建築学科です。東大は入ってから、後からコースを振り分けるじゃない。東大も受けるかどうか迷ったとき、後からコース決めるのすごい大変だなと思って。

蘇ったガウディの写真集の記憶

橋本 藤本さんはどう決めたのですか。

藤本 入学して1年半後に学科を決めるんだけど、それがすごくありがたかった。

物理学をやりたかったんだけど、最初の物理学の授業が何を言ってるのか全然わからない。で、周り見たら普通に分かってる風な奴ばかり。「もしかして、いる場所間違えた」みたいな感じになって。

それで、ガウディの記憶なんかも蘇りつつ、何となく建築学科なのかなあ、という感じで。だから、最近活躍している建築家は誰かとか、そういうリサーチを全然せずにガウディ以外の建築家を知らないまま建築学科に入っていきました。

橋本 それじゃあ、高校時代から建築好きで、いろいろ文献をあさってとかではなくて(笑)。

藤本 建築だけを見ているよりは、広い視野を持っている方が、例えば化学的な考え方とか、アートとかに繋がるのってある。建築だけを深くやっているより、自然な形で興味が広がっている方がいい気がしますね。

▲国道50号側から見た白井屋ホテル(©Shinya Kigure)

藤本壮介(ふじもと・そうすけ)

1971年、北海道生まれ。東京大工学部建築学科卒。2000年に建築設計事務所を設立する。フランス・モンペリエ国際設計競技で最優秀賞に輝いたのを皮切りに、数々の国内外のコンテストを制している。県内では白井屋ホテルのリノベーションのほか、「T House」を設計。

平田晃久(ひらた・あきひさ)

1971年、大阪府生まれ。京都大大学院工学研究科修了。伊東豊雄建築設計事務所に勤務し、2005年に独立する。JIA新人賞、ベネチアビエンナーレ国際建築賞金獅子賞などを受賞。京都大教授。太田市美術館・図書館の設計で2022年日本建築学会賞の作品賞に輝いた。

橋本薫(はしもと・かおる)

1977年前橋市生まれ。「めぶく街づくり」に関わる様々な領域を繋ぎ、横断的に活動、前橋ビジョンを推進している。前橋まちなかエージェンシー代表理事。

▲対談する藤本さん(中)、平田さん(右)と進行役の橋本さん(左)