interview

聞きたい

【聞きたい藤本壮介×平田晃久1▶︎】
街の一部をめぶかせる思い

2022.11.23

【聞きたい藤本壮介×平田晃久1▶︎】
街の一部をめぶかせる思い

中心街のランドマークとなった「白井屋ホテル」を手掛けた藤本壮介氏。構想5年、ついに着工した「まえばしガレリア」を設計した平田晃久氏。ともに1971年生まれの2人はよき友人にして、よきライバル。建築の力で街がどう変わるか。建築家で前橋まちなかエージェンシー代表理事の橋本薫氏をコーディネーターに語り合いました。

震災被災地で考え方変える

橋本 都市の東京一極集中から地方創生が言われ始めたころから、建築家が広義の職能を求められる場面が多くなった気がします。地方創生における建築の役割をどう考えますか。

平田 陸前高田で仮設集落に「みんなの家」を造るプロジェクトを、僕らと乾久美子さんの3人で設計したとき、建築に対する考え方が変わりました。自分たちが面白い建物を造ろうとしていた感覚と被災地の人たちとの感覚が結構違っていたんです。

「みんなの家」をどこに、どういう目的のために造ればいいかってことを被災地の人たちと一緒に考え始めたとき、現地の人の方が大きな広がりの中で建築を考えているのを目の当たりにして、ショックを受けました。

▲震災被災地で建築への考え方が変わったと話す平田さん

橋本 具体的にはどんな違いがあったのでしょう。

平田 被災後、陸前高田の体育館が避難所になりました。そこでもう、ぎゅうぎゅう詰めで知らなかった人たちが隣にいるんですけど、次第に仲良くなっていったんですね。だけど、その後、仮設住宅に行ってバラバラになってしまった。

地元の人から「みんなの家」を街の中心部に建てよう、体育館の経験を共有した人たちが集まれる場所を造りたいと言われました。どの仮説住宅からも近くて、シンボリックな場所にと。どんな敷地に何の目的のために建てるか、そういうことを人々と一緒に考えるのが建築家なんだっていうことに気付かされました。

橋本 地元の人のコミュニティに対する意識が自発的にめばえ始めている状態だったのですね。

藤本 そこに気づく前は、「僕たちが何か提案しなきゃ」という気持ちでいたんですよね。俺が俺がっていう感じ。

でも、半年くらい経って疲れ切ったんですよ。そんな時に、現地に行ったらすごく素直に、「あっ、ここに、まさに始まろうとしている」って、こういう感じだなと。地元の方と話してみて、すごく素直に受け止められた。

こちら側から押し出すんじゃなくて、向こう側からめぶいているものを、ただ受け止めていくことから始まって、一緒に造っていく。その繰り返しの中で、だんだん成長していきました。自分たちが空回りしていたことに気づけたっていうのは大きかったですね。

白井屋のリノベに生かす

橋本 そうした貴重な経験はその後の建築を考えるとき、役立っていますか。

▲藤本さんは白井屋ホテルのリノベーションを手掛けた

藤本 白井屋ホテルのリノベーションがそう。もともとあった建物があって、前橋の街があって、地元の方の思いがある。で、設計が始まってから田中さんが「めぶく。」というビジョンを広げていった。そうすると我々も、建物を造るというより、街の一部をいま、めぶかせているという思いになる。陸前高田の経験があって、自然とそんなことが感じ取れたんだと思います。

橋本 白井屋はホテルを利用する人じゃなくても、ホテルに散りばめられた公共的な、いわば都市の余白のような部分を思い思いに楽しんでいます。

▲ランドマークになっている白井屋ホテル(©Shinya Kigure)

藤本壮介(ふじもと・そうすけ)

1971年、北海道生まれ。東京大工学部建築学科卒。2000年に建築設計事務所を設立する。フランス・モンペリエ国際設計競技で最優秀賞に輝いたのを皮切りに、数々の国内外のコンテストを制している。県内では白井屋ホテルのリノベーションのほか、「T House」を設計。

平田晃久(ひらた・あきひさ)

1971年、大阪府生まれ。京都大大学院工学研究科修了。伊東豊雄建築設計事務所に勤務し、2005年に独立する。JIA新人賞、ベネチアビエンナーレ国際建築賞金獅子賞などを受賞。京都大教授。太田市美術館・図書館の設計で2022年日本建築学会賞の作品賞に輝いた。

橋本薫(はしもと・かおる)

1977年前橋市生まれ。「めぶく街づくり」に関わる様々な領域を繋ぎ、横断的に活動、前橋ビジョンを推進している。前橋まちなかエージェンシー代表理事。

▲対談する藤本さん(中)、平田さん(右)と進行役の橋本さん(左)