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聞きたい

【聞きたい阿部智里さん1▶︎】
『ハリー・ポッター』が運命の本

2022.10.24

【聞きたい阿部智里さん1▶︎】
『ハリー・ポッター』が運命の本

累計販売180万部を突破した人気ファンタジー小説『八咫烏』シリーズの作者、阿部智里さん。小学校低学年で「運命の本」に出会い、小説家になることを決めました。「天職」と考え、小学生のうちにデビューするつもりだったそうです。

小学生で「小説家が天職」

―「運命の本」を教えてください。

『ハリー・ポッターと賢者の石』ですね。小学校低学年で読みました。母が本好きの子にしたいと画策して、毎晩、絵本の読み聞かせをしてくれました。うまくはまって本好きになり、夜が待ちきれず、手にしたのがハリー・ポッター。初めての絵のない本だったかな。

分からない漢字の意味を聞きながら読破しました。読み終わって、「好きなことが仕事になる」って思いました。小説家が私の天職なんだなと。

 ―小学校低学年で?

もともと物語を作るのが好きだったんです。字を知る前は絵でそれを表現して、幼稚園のころは通園バスの中で即興で物語を話したこともある(笑)。

—ハリー・ポッターのどこが琴線に触れたのでしょう。

「子供だまし」じゃなかったところです。それまで私が知っていた話は子供向けにストーリーを単純化していました。分かりやすいけど、その分、物足りなさを感じていた。

ハリー・ポッターはリアリティーのある世界というか、こんな世界が実際に存在するかもと思うほど、作り込まれていた。すごく感銘を受けました。文字だけでこんなにおもしろいんだ、と初めて私の想定を超えた本であり、作家という仕事を教えてくれた「運命の本」です。

 ―実際に小説を書き始めたのはいつからでしょう。

小学校1年生のころから作文帳に挿絵付きで物語は書いていました。本格的に目指し始めたのはハリー・ポッターと出会ってから。小学生のうちにデビューするつもりでしたが、悲しいかな、かないませんでした。なかなか満足できるものが書けず、初めて出版社の新人賞に応募したのが中学3年の時。一次選考にも通りませんでした。

中学時代は柔道部、黒帯持つ

―小学生時代から小説家のような日々だった。

でも中学では柔道部でした。少年漫画を読んで、面白そうと思い、小学3年から始めました。仲のいい子が同時期に始めて、いいライバルになると勝手に燃えて。一応、黒帯も持っています。

 ―そのまま続ければ、小説家との二刀流でしたね。

それは無理です(笑)。高校では創芸部という、まあ文芸部のような部の幽霊部員をして年に2、3本、短編を寄稿していました。もちろん、小説は書いていましたが、音楽部にも所属していました。

ただ、それはもともと小説を書く参考になるかも、という動機でしたね。部員が100人以上いて、練習は大変きつかったです。それで体調を崩して、ドクターストップがかかり、2年生の夏の公演を最後に引退しました。

(写真はいずれも文藝春秋提供)

▲デビュー作の第一部第一巻『烏に単は似合わない』(2012年6月=文藝春秋)

▲第一部第二巻『烏は主を選ばない』(2013年7月=文藝春秋)

あべ・ちさと 

1991年、前橋市生まれ。荒砥中-前橋女子高―早稲田大文化構想学部—大学院修士課程修了—博士課程中退。デビュー作『烏に単(ひとえ)は似合わない』は史上最年少の20歳で松本清張賞を受賞した。八咫烏シリーズは累計180万部を突破。