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聞きたい

【小原玲の伝言1▶︎】
前高時代、写真の「原点」があった

2022.03.05

【小原玲の伝言1▶︎】
前高時代、写真の「原点」があった

友達にカメラを向けるのが大好き。写真の原点だった。報道写真家となり、ファインダー越しに多くの死を見てきた。写真が嫌いになったとき、アザラシの赤ちゃんに出会った。動物写真家として生まれ変わった。2021年11月。モモンガを撮るために出掛けた網走で倒れた。小原玲は最期まで写真家だった。

―初めてカメラを手にしたのは。

「中2年ですね。自衛隊音楽隊の指揮者をしていた父が亡くなり、形見分けで愛用していたペンタックスをもらった。当時、中学生が一眼レフを持っていたのは相当珍しかったでしょう」

―高校時代、よく激写していたね。センバツ甲子園に行った野球部はもちろん、授業中に早弁したり、居眠りしたりといった当時の前高生の何気ない日常を切り取っていた。

「前橋市外の中学校から来たので最初は友達がいなかった。それで、同級生を撮りまくったんだ。授業をサボって写真部の暗室で焼いた。僕の写真が授業中にぐるぐる回るわけ。みんなすごく喜んでくれて、僕もうれしかった。写真を撮るのがますます大好きになった。これが僕の写真の『原点』です」

―出版社が主催した全国コンテストでグランプリを獲得しました。

「いまの『写真甲子園』です。まあ選ばれるはずはないだろうと高をくくっていたので、うれしかったけど、悔しくもあった」

 ―「休み時間」のタイトルで、昼休みに科学の先生と議論する「優秀な生徒」とアダルト雑誌をにやにや見る「普通の生徒」を対比させた作品でしたね。

「生意気な高校生でしたからね。審査員はいかにも高校生らしい写真を評価すると小ばかにしていた。僕の写真は分からないだろう、なんてね」。

 ―ところが、きちんと評価された。

「審査員の方が完全に上でした。評価は技術的には未熟でも、写真が断然おもしろいと。これで、人生が変わりました。それまでは学校の先生になろうかなと漠然と考えていたのです」

小原玲
友達
写真甲子園

小原玲(おはら・れい)1961年2月

東京都生まれ。前橋高-茨城大人文学部卒。フライデーの専属カメラマンからフリーになり、報道写真家として活躍する。動物写真家に転じ、アザラシの赤ちゃんなどの写真集を多数出版。2021年11月、死去。享年60歳。