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【前橋旧町名の物語▶3】
明治の栄華伝える臨江閣
2026.05.27
1960年代半ばまで使われ、いまもなお愛着を持って呼ばれる旧町名を後世に伝えるため、前橋市は旧町名の由来を記した案内板の設置を始めた。第一弾として、「厩橋地区」と呼ばれる中心街で11カ所を設置。新たに7カ所を追加した。案内板のある旧町名を順次紹介する。
広瀬川端の柳が由来
①柳町(やなぎまち)=大手町3丁目
臨江閣の敷地である狭い町。広瀬川端の柳が多く自生した場所に侍町ができ、柳町と称したとされる。天和年間(1681~1684)には柳町という武家町名があったことが確認されている。
▲明治期に撮影された臨江閣
臨江閣は初代県令、楫取素彦の勧めにより、「前橋二十五人衆」と呼ばれた当時の経済人の寄付により、1884(明治17)年に建てられた明治の迎賓館。国の重要文化財に指定され、一般公開されている。
▲柳町の案内板
▲柳町の範囲
糸のまち支えたレンガ倉庫
②清王寺町(せいおうじまち)=日吉町1丁目
明治期に開かれた「1府14県連合共進会」の会場となった。共進会の跡地に群馬大学の前身となる群馬県師範学校ができ、群馬大が現在地の荒牧町に移転した後は県民会館が建てられた。県民会館入口の県道前橋赤城線沿いには大正期にレンガ造りの上毛倉庫が建設され、製糸業の発展を見届けた。
▲昭和30年代の群馬大教育学部
町名の由来は地内にあった寺院名、戦国時代に城を持った清王寺新井入道の名からなど諸説ある。
▲清王寺町の案内板
▲清王寺町の範囲
交水社から旧県立図書館へ
③栄町(さかえちょう)=城東町1丁目
比刀根橋の西から城東小学までの細長い地域。一毛町の一部が独立して1928(昭和3)年、町が栄えるように願って命名された。
▲昭和30年代に撮影された旧群馬県立図書館
前橋の製糸業の中心となった交水社があり、広瀬川の水路を利用して水車を回して繰糸を行い、舟に積んで出荷した。交水社は前橋空襲で焼失したが、跡地には1953(昭和28)年、旧群馬県立図書館が建てられた。栄通りが昔の町名をわずかに残している。
▲栄町の案内板
▲栄町の範囲
商工まえばし「旧町名への旅」
前橋商工会議所は2011年7月、機関誌「商工まえばし」の別冊として、「旧町名への旅」を発行した。
「おじいちゃんとボクが訪ねた町」をサブタイトルに、高校1年生の孫と70歳の祖父が旧市街地の44カ所を訪ね、旧町名の由来や特徴を分かりやすく解説している。
すでに絶版となっているが、全50㌻のコピーを受け付けている。300円(消費税込み)。
問い合わせは前橋商工会議所(☏027-234-5111)へ。


