study

学びたい

【前橋旧町名の物語▶2】
戦後復興で開発進む

2025.04.11

【前橋旧町名の物語▶2】
戦後復興で開発進む

 前橋の旧町名の案内板設置が進んでいる。「厩橋地区」と呼ばれる中心街ですでに11カ所を設置済み。案内板のある旧町名を順次紹介する。

元禄時代にあった鐘楼

⑥曲輪町(くるわちょう)=大手町2丁目
 前橋城の跡地にできた町。前橋城址碑や前橋城車橋門跡がわずかに白の面影を残している。現在の県庁前通りはかつて曲輪町通りと呼ばれ、元禄時代に建てられ、明治前期に再建された「鐘楼」がこの町のシンボルだった。

▲曲輪町の案内板▼高度成長期の県庁前通り=1967(昭和42)年

大きな商家や旅籠並ぶ

⑦本町(ほんまち)=本町2丁目
 前橋市を代表する繭糸市場として大きな商家が軒を連ね、本陣や白井屋旅館などの旅籠も多かった。江戸時代から毎月、4と9の付く日に「六斎市」が開かれたとされ、いまも1月9日に開かれる初市まつりに引き継がれている。

▲本町の案内板▼金融街として栄えた本町通り(現・国道50号)=前橋市勢要覧・1962(昭和37)年版

2つの町が仲良く合併

⑧相生町(あいおいちょう)=表町2丁目
 金銀細工職人が開いた「白銀町」と鍛冶屋が集まっていた「鍛冶町」が1873(明治6)年に合併する際、夫婦のように長く協力して栄えるように願って命名された。1953(昭和28)年には戦後復興計画により群馬大橋線が開通した。

▲相生町の案内板▼昭和30年代の五差路から写した相生町

サナギで鯉を養殖

⑨堀川町(ほりかわちょう)=表町1丁目
 明治維新後、製糸業が士族に奨励された。製糸家のほか、蚕の繭から取れるサナギを餌に養鯉業を始める者も現れ、鯉を養殖する池が多く存在していた。町名の由来は武家屋敷の区域だった「砂堀・川窪」から1文字ずつ採ったと言われている。

▲堀川町の案内板▼国道50号との交差点から写した堀川町=1950(昭和25)年

両毛線開通でにぎわい

⑩田中町(たなかまち)=表町2丁目
 幕末に新たな武家地として設けられた「田中小路」が町名の由来。1889(明治22)年の両毛線開通後は旅館や運送店、上毛倉庫が建ち並んだ。駅前のシンボル、ケヤキ並木は1949(昭和24)年からの戦後復興事業として植樹された。

▲田中町の案内板▼噴水のある前橋駅前=広報まえばし・1966(昭和41)年

▲旧町名案内板のある地図