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【前橋旧町名の物語▶1】
武家地だった「るなぱあく」

2025.04.10

【前橋旧町名の物語▶1】
武家地だった「るなぱあく」

 前橋の旧町名の案内板設置が進んでいる。「厩橋地区」と呼ばれる中心街ですでに11カ所を設置済み。案内板のある旧町名を順次紹介する。

前橋の北の玄関口

① 琴平町(ことひらちょう)=住吉町1丁目
 近くにあった琴平宮にちなんで命名された。1889(明治22)年に国道17号の前身の新国道が開通、4年後には渋川行きの鉄道馬車が開通した。1910(明治43)年に電車化され、前橋の北の玄関口としてにぎわった。

▲琴平町の案内板▼岩神発電所=1950(昭和25)年ころ

牧場を経て遊園地に

② 北曲輪町(きたくるわちょう)=大手町3丁目
 前橋城の三の丸があった。奥の小道に入ると、T字路や角のずれている十字路が多く残り、城下町の武家地だった名残りを感じられる。子供でにぎわう「るなぱあく」はかつて牧場だった。

▲北曲輪町の案内板▼るなぱあくの様子=前橋市勢要覧・1956(昭和31)年版

広瀬川、風呂川流れる

③ 神明町(しんめいちょう)=大手町3丁目
 神明宮が鎮座していることにちなんで命名されたといわれている。町内を広瀬川や前橋藩のために分水された風呂川が流れる。前橋藩主・酒井氏ゆかりの源英寺には酒井重忠画像(前橋市指定重要文化財)が保存されている。

▲神明町の案内板▼新たに架設された雷神橋=前橋市勢要覧・1957(昭和32)年版

にぎわった前三百貨店

④ 竪町(たつまち)=千代田町3丁目
 東西に走る通りを南北につなぐ形の地区で、縦を意味する「堅」が町名の由来。1964(昭和39)年には群馬県内初の近代型百貨店「前三百貨店」が開店、高度経済成長期の象徴となった。前三は閉店し、跡地に建てられた前橋テルサも解体の見通し。

▲堅町の案内板▼新装の堅町通り(現・国道17号)=前橋市勢要覧・1955(昭和30)年版

駅ビル、横丁があった

⑤ 一毛町(いっけまち)=城東町3丁目
 町名の由来は一毛作地帯であったことや牧畜が盛んであったことなど諸説ある。昭和に入ると、上毛電鉄の中央前橋駅や一毛町駅(現・城東駅)ができ、住宅が密集した。高度成長期には駅ビルができ、飲み屋街の上電横丁はにぎわった。

▲一毛町の案内板▼駅ビルになる前の中央前橋駅=昭和30年代

▲旧町名案内板のある地図