interview

聞きたい

【聞きたい たかのさん4▶︎ 】
倒産の危機からV字回復 不運は神様からの贈り物

2021.10.28

【聞きたい たかのさん4▶︎ 】
倒産の危機からV字回復 不運は神様からの贈り物

エステという言葉を日本で確立させ、普及させた美のカリスマ。前橋で理容師となり20歳で上京した。パリでエステを学び、30歳でエステティックサロンを開設。海外の技術を融合した独自のエステを確立、業界トップに上り詰めた。苦労を重ねた故郷を愛し、お世話になった「鐘の鳴る丘少年の家」の後援会長を務めている。

―パリで1年ほど、エステの勉強をしました。帰国してエステを始めたのですか。

「いえ、最初は美顔器の販売です。パリにいたとき、ドイツ製の美顔器を使っていたのですが、これがニキビに非常によかった。これなら日本でも売れるだろうと、自分で開発しました。

老廃物を吸引する美顔器『ヴィッキー』です。同時に作った自然化粧品ともども大好評でした。私のビジネスの第一歩でした。

当時は女の起業家が珍しかったでしょ。メディアにも取り上げられるようになりました。『たかの友梨』はこのころから名乗り始めました。

そして、30歳のとき、新大久保に『たかの友梨ビューティクリニック』をオープンしました」

―順風満帆でしたね。

「いえ、最初はお客さまが全然来なかったのです。閑古鳥が鳴いていました(笑)。出だしから倒産の危機でしたね。

でも、何とかなると思っていました。『ニキビを無料で治します』と無料体験の広告を出したら、これが大反響でした。店の前に大行列ができて。『毎日来ても月3万です』と、いまでいうサブスクリプションを打ち出しましたが、こちらも当たりました。本当に毎日来た方もいましたよ(笑)」

―倒産の危機からV字回復です。

勢いに乗って、表参道に2号店となる青山店を出し、多店舗展開していきました。うれしかったですね、表参道に店を構えるのはずっと描いていた夢でしたから。その後も何度も危機はありましたが、不思議と『何とかなるさ』と開き直ることができました。ずっと苦しい思いをしてきましたから」

―テレビCMも評判になりましたね。

「松田聖子さん、安室奈美恵さん、米倉涼子さん、沢尻エリカさんをCMキャラクターに起用しました。みなさん、おきれいですが、それだけではない。きちんとした信念、しっかりした生き方をしている人を選びました。

昨年は高嶋ちさ子さん。トップバイオリニストでありながら、凛とした姿に共鳴しました」

―エステ業界のトップをつかみました。何が「たかの友梨」をここまで押し上げたのでしょう。

「幼いころから苦労しました。事情があり、親戚の家を転々としました。小学校は6回も転校しましたよ。母と暮らせるようになったのは小学校の卒業前です。

片品村の親戚の家では『働かざる者食うべからず』と家事や畑仕事をさせられました。冬の井戸の水くみは寒く辛かったです。

でも、働くことの大切さを身に染みて覚えることができたのです。『不運は神様の贈り物』。そう思っていますよ、心から」

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たかの・ゆり

1948年1月、新潟県湯沢町生まれ。前橋女子高校(定時制)卒。理容師から化粧品のアドバイザーに転身。フランスでエステティックを学び、美顔器販売を経て、たかの友梨ビューティクリニックを開設する。「鐘の鳴る丘少年の家」後援会長。

たかの友梨ビューティクリニック(不二ビュティ)

1978年9月開業。全国に84店舗を展開。県内には前橋(スズラン別館)、高崎湯都里、太田安眠の湯の3店舗。本社・東京都渋谷区代々木。