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聞きたい

【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶71】
高校3年夏―3

2023.06.11

【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶71】
高校3年夏―3

うれしいファンレター

6月半ば過ぎだったろうか。戸部正行先生に職員室に呼ばれて行くと、段ボール箱が何箱かあった。

「学校に来たファンレターだよ。部室に持ってってみなに配ってくれ」

へーと思いながら部室へ。やはり断トツに多いのはエース、松本稔だった。

▲ファンレター1位はもちろん松本

堺晃彦と相澤雄司が次点で同数くらいか。後のメンバーにはパラパラあった程度だった。

女子高生、女子中学生がメインなのだろう。可愛い模様や絵入りの封筒、同じ柄のセットの便せんに丁寧に書かれた封書。宛名書き文字も丁寧で、中にはきれいな絵柄の記念切手を貼ったモノなどもあった。

川北は「おーすっげーじゃん」と言いながら、「やっぱ俺にはないわなー」と結果にがっかりしないように予防線を張りながら仕分けをしていた。

そんな中に川北宛の一通の葉書があった。

恐らく小学生低学年の男の子なのだろう。まだ平仮名も怪しい文字ずらだったが、「川北しゅしょうを見ていると、どりょくやこんじょうをかんじます。がんばってください」とあった。

ひらがなの「し」や「く」が左右反転していたりしていた。恐らくこの子は野球を始めたところなのだろう。父親に言われて書いたか、書きたいと言って親に教えてもらったか。可愛い封筒と便箋でないのは残念だったが、これはこれでものすごく嬉しかった。川北宛らしい、自分宛に相応しいものだと思った。

この件も後々、川北の野暮天ぶりのネタ話になったが、これはこれで誇りに思っている。残念だったのは送付者の住所の記載がなく、苗字もなかったことで返事が書けなかったことだ。今でも心残りである。

きっとこの時の少年はファンレターをマエタカに出したことすら忘れて、どこかでよい大人になって暮らしているだろう。男の子がいて野球をしているかもしれない。そんなことを思うと少し胸の奥が暖かい。

▲ファンレター2位を競った堺(中)と相澤(右)。川北(左)は少年から熱い応援を贈られて感激した

夏に向けて3つの武器

このころ、川北なりに夏に向けての武器を意識した取り組みを三つ行っていた。

一つ目は投球カウントを使ってのセーフティーバントだった。意表を突くという意味では通常は初球に行うことが多く、守備側も初球の警戒感は一般的に高かった。

サードを守る川北も守備側ではそうだった。これを1ボールか、2ボールもしくは2ボール1ストライクなどの投手がストライクを置きに来るカウントで行うのである。

川北の場合、置きにきた棒球をヒットに出来る率とセーフティーバントの成功率を比べれば圧倒的に後者が高い。それだけに割り切って実行できる。練習試合で2度ほど試したところうまくいった。

カウントを組ませるまでは通常のバッティングポーズなので、ほぼ警戒感は薄れていた。何度も使うと読まれる可能性もあり、頭の中で温めることとした。

二つ目はセーフティーバントと見せかけたバスターヒッティング。県内のチームには川北の傾向がつかまれつつあり、サードとショートは前進、レフトは前進してライン際、センターも前進してショートの後ろ、とシフトされるようになっていた。

セーフティーバントももちろん警戒される。そこで、セーフティーバントの構えでサードを前進ダッシュさせ、そこに強いゴロを放って内野を抜くのだ。

これは通常の構えから、いったんセーフティーバントの構えに入り、バスターヒッティング的にバックスイングしてサード方向にゴロを打つ動きになる。始動のタイミングと滑らかで目線の上下しない動作の習得が必要だった。

練習で何とか動きは行えるようになった。練習試合では試みたものの投球がボールとなり、キレイな成功事例は作れなかった。しかしここ一番では…と思っていた。

三つ目。1塁側へのセーフティーバントである。打席での姿勢、走り出す方向などからボールを転がしやすいのは三塁側方向で、それまでずっとそちらに転がしてきていた。

よく考えてみると3塁側方向ではサードに前進されてしまう。1塁側に転がせばピッチャーくらいしか対応できない。

しかも左投手であれば1塁送球時に体を一回転させる動きが必要でその分時間が稼げる。キリタカの木暮洋対策に使えるかもしれない。

ただ、1塁側へボールを転がすにはコツが必要で少し苦労した。バットがボールにコンタクトした瞬間にバットをバットヘッド先の方向に押し、ボールに時計回りの回転をかけた。するとライン際に転がる絶妙なゴロにすることができたのだ。これは打撃練習時に毎日練習した。

いずれのメニューも乾坤一擲の場面で使えるかどうかが大事である。成功のイメージトレーニングも毎晩寝る前に欠かさなかった。自分で考えた武器を用意していると思うだけで「その時」に冷静になれる気がしていた。

 

▲完全試合達成後の人気ぶりはすさまじかった