interview
聞きたい
【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎48】
選抜甲子園-4
2023.04.22
先攻後攻ジャンケン全敗
3月30日。2回戦がマエタカの初戦だった。昼食後に宿泊していた老舗旅館、中寿美花壇の女将さんがびしっと着物を着て、正座で挨拶した。
「今日は晴れの戦いの場。勝ってもらわなければなりません。一同、心を一つにお祈り申し上げております」
老舗にふさわしい送り出しであった。古式の違和感が若干あったが、女将さんの真剣な目線と凛とした声が戦いに向かう気持ちを後押ししてくれた。帰り支度で慌てない程度に荷物は整理した。
甲子園に向かった。いったん球場に入り、内野スタンドで少しだけ試合の空気を肌で感じた。小倉高校と帝京高校の試合中であった。
時間になったので戸部正行先生と本部に向かった。責任審判員の前でオーダー表を交換し、比叡山高校の松川淳主将と先攻後攻ジャンケンをする。正確かどうか記憶も怪しいが川北はこのジャンケン、公式戦はずっと負け続けてきていたはずだ。
この日も負けた。勝ったら先攻を取ってくれと松本稔から言われていたのだが後攻になってしまった。松本は誰も投げていないマウンドから始まるのは避けたい希望だったのだ。ジャンケンに勝たなければ希望を聞いている意味はなかったが。
当時、甲子園球場横にあった甲陽学院高校校庭でアップした。比叡山高校は先に来てフリーバッティングをしていた。マエタカはトスバッティングにとどめた。
相澤、茂木のフライング
準備要請の連絡があり、スターティングメンバーを円陣で確認して球場入り。いつもの守備、いつもの打順、鉄板オーダーだった。1塁側ベンチ裏で待機した。
前の試合が終了した。
「よっしゃあ、行こうぜ!」
「ちわーすっ!」
ベンチ横の通路出口から、前試合の終了挨拶と同時に相澤雄司と茂木慎司が元気よくグラウンドに飛び出した。通常の地方大会ではいつもそんな感じである。
しかし、ここは甲子園だった。両校での終了の挨拶の後、勝利チームがホームベース前で整列して校歌を歌い、敗戦チームはそれをベンチ前に整列して聞くというセレモニーがあるのだ。
勢い込んで飛び出した相澤と茂木は戻るに戻れず、一塁側ベンチ前に整列する帝京高校の邪魔にならないようにベンチ横の外野側のグラウンド地面に、ダンゴ虫のように丸く伏せて隠れる羽目になった。事務局から怒られはしなかったが笑ってしまった。
ちなみにその後、甲子園常連となる帝京高校はこの時が初出場。あの「とんねるず」の石橋貴明さんは1学年下でベンチ入りできず、アルプススタンドで応援していたそうである。
マエタカは後攻なのでシートノックは先になる。病み上がりと言うよりは休養十分で体も軽く、膝下がリズミカルによく動いた。ノッカーの内山武先生の方が緊張しているようにも見えた。
大会4日目の第3試合。前評判もあまり高くなく、話題の選手もいない試合。観客もあまり多くなく、両校のアルプスを除けば半分入りくらいに感じた。
松本、ストレートが走る
1回の表。比叡山の攻撃。試合開始のサイレンとともに1番バッターへの初球。切れのあるストレートが決まった。
「お、松本、調子いいじゃん」と感じた。いつもなら試合の初球はドロンとしたカーブでストライクを取りにいくパターンだった。それが伸びのあるストレート。フォームの躍動感もあった。トントンと追い込んで1番打者の打球はショートゴロ。顔の高さに弾んでくるゴロを堺晃彦が難なくさばいて甲子園で最初のアウトをとった。
2番打者、これも追い込んでから縦に大きく割れるカーブ。これを引っ掛けてサードゴロ。
「来た!」
大きく弾んだ打球。つかんで思い切り、ファーストの佐久間秀人に投げてツーアウト。
3番打者。懐が深くいかにも打ちそうな構えとバックスイング。が、これもタイミングを外したカーブを引っ掛けさせてサードゴロ。バウンドが合わせにくかったがハーフバウンドをお腹で抑えてスリーアウト。上々の立ち上がりである。
初球攻撃、俊足が生きる
松本稔の投球はボール判定が1球もなかった。
さあ、1回裏、マエタカの攻撃。川北は1番打者として相手の吉本義行投手の練習投球を可能な限り近くで見ようと、急いでヘルメットとバットをつかんでベンチから向かおうとしたら、田中不二夫監督に呼び止められた。
「いいか、カワキタ。向こうは様子見かもしれないがまったく消極的だ。戦ってない。こっちは行くぞ。ストライクはどんどん振って行け!」
「はい!分かりました」
正直、甲子園初打席は大切に、大事に、といった気持ちが結構あった。初めて対戦する投手なので投球フォームと球質を見たい気持ちもあった。川北が打席でモヤモヤしてしまう要素が満載だったのだが、監督の言葉ですべてが消え去った。
「よし、ストライクを打とう」と集中できたのだ。初球、ややインコース寄りのストレート、ストライクだ。夢中でバットを振った。いつも同様、芯には当たらず、バットの下目に当たって高いバウンドのサードゴロ。全力で走った。
1塁セーフ。バウンドが高過ぎて空中時間が長い分、相手サードの好送球でも間に合わなかったのだ。後にNHK放送の録画を見るとアナウンサーが「俊足です!カワキタ!」と叫んでおり、何度となく繰り返し見た。
スコアボードを見ると「H」にランプが。内野安打だ。うれしかった。最高にうれしかった。と同時にマエタカのいつも通りの攻撃ができる安堵感もあった。
「よし、やれる」
足を見せられた分、相手が警戒してくる気配も感じ取れた。2番は堺晃彦。初球、「バントの構えで牽制」のサイン。比叡山側もセカンドとサードがバッター前までダッシュしてくる極端なバントシフトをして打者に圧をかけてきた。初球ストライク。
「これだったらエンドランかな」と思うと案の定「エンドラン」のサイン。2球目スタートを切った。堺の打球は詰まり気味ながら三遊間へ。サードが極端なバントシフトで前進してきていたので横を抜け、レフト前まで転がったヒットとなった。3球でノーアウト1塁2塁である。
3番、相澤。初球のサインはまた「バントの構えで牽制」。セカンド牽制球に注意を払っていたが、セカンドとショートの動きが開き気味で投球と同時に思いのほかスタートが切れていた。
いまにして思えば三盗もできたと思える。が、その時はまったくその要素を頭に入れておらず、むしろ離塁し過ぎた格好となった。キャッチャーがセカンド牽制を投げてきた。慌てて戻る。
2球目。サインが「バント」に変わる。堺のときに極端なバントシフトが裏目に出ているので、比叡山はここではシフトを敷けなかった。相澤雄司の投前バントで楽々ワンアウト2塁3塁。
魔球で松本 初めての三振喫す
松本の打順となった。エースで4番。打率は4割を超えて長打、打点もチーム一。県大会、関東大会、練習試合を含めても三振はゼロ。キリタカの木暮洋からも印旛高校の菊池総からも三振していなかった。
最も頼りになる打者に、最もいい形を作ることができたのだった。3塁ランナーの川北はこの時点で生還を確信していた。唯一の危惧は敬遠のみだった。
しかし、松本が追い込まれた。そしてドロンとした球を空振り三振!見た目はカーブのようにも見えたが、後で聞くところによるとフォークだったとのこと。この当時、高校生でフォークはほとんど見る機会はなく、松本の三振は衝撃的だった。
しかしまだツーアウト。チャンスに強い5番、佐久間。インコースで追い込まれ、シュートに詰まらされてピッチャーゴロに終わった。絶好のチャンスを無得点。やっぱり地方大会と甲子園は違うな、と実感した。
かわきた・しげき
1960(昭和35)年、神奈川県生まれ。3歳の時に父親の転勤により群馬県前橋市へ転居する。群馬大附属中-前橋高―慶応大。1978(昭和53)年、前橋高野球部主将として第50回選抜高校野球大会に出場、完全試合を達成する。リクルートに入社、就業部門ごとMBOで独立、ザイマックスとなる。同社取締役。長男は人気お笑いコンビ「真空ジェシカ」の川北茂澄さん。