新聞は生きて瞬きしている気がする
ラジオはみんなが参加できる
―「ほぼ日刊イトイ新聞」とウェブサイトに新聞を付けました。かつて「ヘンタイよいこ新聞」も編集していました。
新聞、好きですね。何やってもいいからでしょうか。恐竜博やるのも新聞、美術館で展覧会やるのも新聞、講演会をやるのも新聞。球団を持つのも新聞ですよね(笑)。
時間で動いているというか。不朽の名作を作るんじゃなくて。毎日を、生きて瞬きしている気がするんですね。新聞っていった方が動いている気がします。
―新聞離れが進んでいます。
毎日届きますから。あれはすごい仕組みです。奇跡みたいなものでしょう。あの配達のシステムがどうなるかですね。
でも、残ると思いますよ。目で見て読むものを買うということは。いまのスタイルを取っているかは分かりませんが。
―ラジオの深夜放送は聴いていましたか。
全盛期のちょっと前くらいの世代ですかね。聴いていましたね。パックインミュージックとか。それこそ、前高だ高高だとか、定期戦の前になると特集みたいのを組んでいましたね。訳の分からない対抗意識みたいのを燃やして、面白がって、みんなで手紙を出していましたね。
ラジオは、はがき一本でメディアにさわることができるんですよね。僕はそれをラジオで覚えたと思います。製菓メーカー提供の番組で詩を送ったらチョコをもらえました。うれしかったですね。ラジオはみんなが参加できる。
昨年秋にほぼ日は神田に引っ越しをしたのですが、会社の1Fにラジオブースを作ったんですね。いいですよ。透明な外に開いた部分がビルの一角にあるのは。ほぼ日の學校の収録をしたり、生配信をしたりと色々活用しています。
サブカルチャー雑誌で「新聞」
【ヘンタイよいこ新聞】1970、80年代に渋谷系サブカルチャー雑誌として若者から熱狂的な支持を集めた「ビックリハウス」(パルコ出版)で、人気コーナーだった読者投稿欄「ヘンタイよいこ新聞」の編集責任者を務めた。若者の教祖的存在であった。ビックリハウスは萩原朔美さんが設立した。
糸井重里(いとい・しげさと)1948年11月、前橋市生まれ。
前橋高-法政大文学部中退。コピーライターとして人気を集めたのを皮切りに、幅広く活躍するマルチクリエーター。沢田研二の「TOKIO」をはじめ作詞も数多く手がけ、企画制作したゲーム「MOTHER」シリーズは熱狂的な人気を集める。1998年にスタートしたウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」では、「ほぼ日手帳」をはじめ2021年の日本文具大賞グランプリを受賞したAR地球儀『ほぼ日のアースボール』、先月開校した「人に会おう、話を聞こう。」をテーマにアプリを通して届ける『ほぼ日の學校』など様々な商品開発、企画を手掛ける。
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