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聞きたい

【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎34】
高校2年秋-2

2023.04.05

【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎34】
高校2年秋-2

先輩のグローブで事なきに

1977(昭和52)年、高校2年の2学期が始まり、新チームの秋季大会初戦が近づいてきた。1回戦は不戦勝。2回戦、相手は前橋商業高校(=マエショウ)だった。

9月10日、土曜日午後から前橋の県営敷島球場予定で、確か前日から大雨でまさか試合はないだろうという状態だった。川北も公式戦用ユニフォームを家においてきていたのだが、昼前からピーカンに晴れ上がった。

「予定通り試合あるってよ」

「えっ、やばっ」

数人が自宅にユニフォームや道具を取りに戻り、そのまま球場に向かう事態となった。幸いにして伊勢崎組は用具を学校に持ってきていた。

川北は自宅に向けて自転車をこぎにこいだ。学校から自宅までおよそ5㌔、自宅から球場まで10㌔で計15㌔。大慌てで球場に滑り込むと慌ただしく着替えた。

当時は15㌔に及ぶ全力での自転車ロードワークもまったく負担にならないほど基礎体力は充実していた。むしろこのドタバタがある意味、ウォーミングアップとなり、変な緊張感を抱かずに済んだように思う。

▲桐生高とのOB戦で怪しげな守備の川北

しかし失態もあった。グローブを忘れていた。一瞬血の気が引いたが幸運なことに全体で運んできた荷物の中に1学年先輩、樋澤一幸が使っていたローリングス社のグローブが入っていたのだった。しかも形も汎用的な外野手用である。大騒ぎせず、誰にも言わずにそっとグローブをはめた。有難かった。

数人がまだ着替えていたが、「そろそろ行こうか~」と川北が言うと、「ちょっと、まだ待ってろよ!慌てんなよ!」と相澤雄司。

田中不二夫監督が助け舟を出し、「試合時間迫ってるぞ。慌てられるのもいまのうちだぞ!」。

どうにかこうにか準備も試合時間に間に合った。

試合は5対0の完封勝利だった。

マエショウは伝統校であったが、このころは川北たちの年代の部員が少なく低迷していた。学校から少し離れた利根川河川敷に野球部専用グランドを新設して変化の時期でもあった。コールドではなかったが、危なげない新チーム公式戦初戦の勝利に川北は心底安堵した。

▲前橋商戦、7回裏に石井のスクイズが決まり4点目

サード守備も樋澤のグローブで無難にしのぎ切れた。観戦に来てくれていた小出昌彦が、「お前の守備は捕ればもう大丈夫だからな。安心だよ」と暗に送球の良さを褒めてくれた。本当に嬉しかった。

信じ~られない~満塁本塁打

9月15日、思い出深い前橋育英高校とのダブルヘッダーの練習試合が前橋育英高校グラウンドであった。本稿の前半で記させていただいたように群馬県は冬の北風が凄まじい。いわゆる、空っ風である。

この日はそのシーズンには早かったが、通り過ぎて行った台風の影響だったろうか、凄まじい北風が吹いていた。地上よりは上空、高ければ高いほど風速は速そうで、ホーム方向からライト方向に向けて風が唸りをあげている格好だった。

前橋育英高校はマエタカの前年チームが春に敗れた相手でもあり、当時も大型選手が多いチームだった。試合の方はしぶとくマエタカペースで進んでいった。

▲川北は甲子園初戦の第1打席でヒットを放った

満塁のチャンスに川北に打順が回ってきた。9番の田口淳彦が四球だったこともあり、押し出しもあり得るかとの気持ちで初球の絶好球を見逃してしまった。

「馬鹿野郎!何をしてるんだ!」

物凄い剣幕で監督にどやされた。「えっ、そんな…。ここがポイント?よーし、そうしたら2球目、何が来ても打ってやる!」と反応的に変な覚悟を決めた。

2球目。カーブだった。もちろん打ちにいった。タイミングは崩され気味だったが体は何とか残り、バットの上っ面で曲がり落ちる球を拾い上げ、バックスピンをかけるような打ち方になった。

高々と打球はライトに舞い上がった。川北の手の感触では打ち抜いた感覚にはほど遠かった。しかし打球は高く高く上がった分、この日の強風に押されてグングン伸びていった。前橋育英高校グランドは外野の先は網フェンスで球場的にしつらえてあった。

川北は打球の最後を見届けられずにとりあえずセカンドベースまで走った。塁審の前橋育英高校の選手にブイサインで二塁打か?と尋ねると、彼が右手を頭の上でグルグルと回したのだ。

「えっ、えっ、ホームラン?、オーバーフェンスの?、俺が満塁ホームラン?」

ピンクレディーの『UFO』はこの年12月のリリースだが、まさに「信じ~られない~ことばかりあるの~♪」である。川北のこのシーズンの唯一の長打がこれだった。

ちなみにこのダブルヘッダーではあと2本、オーバーフェンスのホームランが出た。前橋育英高校、左のスラッガー清水武彦のライトオーバー。マエタカ、松本稔のセンターバックスクリーンを超える、これまた満塁ホームラン。

この2本はいずれも風にはまったく関係のない弾丸ライナーであった。念のため。

▲打撃でも中心だった松本。福井商業高戦でチーム初安打を放った

▲60歳を超えたいまでも力強い。ゴルフのドライバーは280㍎を超える

かわきた・しげき

1960(昭和35)年、神奈川県生まれ。3歳の時に父親の転勤により群馬県前橋市へ転居する。群馬大附属中-前橋高―慶応大。1978(昭和53)年、前橋高野球部主将として第50回選抜高校野球大会に出場、完全試合を達成する。リクルートに入社、就業部門ごとMBOで独立、ザイマックスとなる。同社取締役。長男は人気お笑いコンビ「真空ジェシカ」の川北茂澄さん。