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【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎28】
高校2年夏-3

2023.03.25

【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎28】
高校2年夏-3

マウンドに立てないエース小出

無我夢中の練習期間はあっという間に過ぎて7月に入った。いよいよ夏の大会が始まった。

我らがマエタカ野球部は滑り出し好調であった。ノーシードだったので1回戦からの挑戦だったが、1回戦、吉井高校を9対0、2回戦、伊勢崎東高校(現伊勢崎高校)を8対1と連続でコールド勝ち。3回戦は関東学園高校に2対0。これで準々決勝、ベスト8進出となった。

残念ながらここまでエース、小出昌彦は登板できなかった。昨秋の優勝投手が登板しないまま、全試合全イニングのマウンドを背番号7の松本稔が守った。小出はレフトで出場していた。

▲夏の大会、序盤は打線が好調だった

準々決勝は前橋市の県営敷島球場。ギラギラと日差しの強い真夏日だった。相手は東京農大第二高校(=ノウニ)。

ノウニは主力が2年生。川北たちと同学年であり、しなやかで元気のよい洗練されたチームだった。投手は小林敬嗣、横尾友章の2人、ショート上原信義、セカンド岡野好幸、ファーストは4番で後に1試合で複数本塁打を放つ野武士、大柄な酒井浩一とタレントが揃っていた。

マエタカはやはり小出が登板できなかった。前半は一進一退の攻防であったが、終盤、ノウニ、右投げ左打ちの横尾の放った打球が鋭い快音を残してライトスタンド中段に飛び込んだ。バットの芯とボールの芯がぶつかるとこんなにも…と思うような放物線を描いた打球であった。

▲2年生投手、松本を援護する打線

2対5。安藤敏彦、中林毅、小出昌彦、宮内武、樋澤一幸、3年生5人の夏は終わった。

試合後、学校に引き上げた。化学教室でカツ丼だったか親子丼だったかを食べたと記憶している。

安藤から主将を引き継ぐ

食べ終わって一息ついてから3年生からのメッセージの段となった。最初は主将の安藤。安藤から次の主将の指名も予定されていた。

3年生が明日からいなくなる状態を受け入れられないまま川北は下を向いていたが、ふと、もしかしたら主将は自分かもしれないと思った。

安藤が立ち上がる音がした。が、何も声が聞こえてこない。ふと顔をあげて見ると、体中の筋肉を総動員して涙と嗚咽をこらえるのに必死な安藤が立っていた。

試合終了後、いつも通りにクールダウンのキャッチボール指示を出す彼の声を聞いていた。報道陣や応援者と爽やかな笑顔で話している姿を見ていた。

ベンチ裏の通路で泣き崩れる相澤雄司を支える姿を見ていた。ずっと彼は張り詰め続けていたのだろう。その安藤が涙と鼻水でぐちゃぐちゃな顔でしゃくりあげていた。そしてとぎれとぎれに叫んだ。

「カワキタ、頼んだ。お前がやってくれ!」

川北は返事を言葉にできずに大きく頷くことしかできなかった。涙が目からポロポロ零れ落ちた。涙が熱いと思ったのはこの時が初めてであった。

▲秋季大会を制した3年生。前列左から3人目が安藤主将

新主将として何かしゃべらなければならなかった。

「目標は甲子園に出ること。そのためには試合に勝たなければならない。勝つためには、やはり練習をしっかりやらなければ…」

そんな当たり前の話をしたと思う。どちらかと言えば自分に言い聞かせていたのだ。やるべきことは当たり前の積み重ねでしかないことを。また、特別なことのない自分ができることも当たり前のことでしかないことを。

入部してから1年と4カ月。いよいよ自分たちが最上級生のチームが始まることとなった。

この日の夜、2年生8人は学校に近い田口淳彦の家に全員で泊まった。

翌日が練習休日ではあったが、なぜそうなったかは覚えていない。きっと、みながそれなりに高ぶっていたのと、同時に心細さも感じていたのではないだろうか。

高校生であるから酒を酌み交わすことはもちろんなかったが、深夜まで布団に入ってからも他愛無い話で寝つかなかったのを覚えている。

かわきた・しげき

1960(昭和35)年、神奈川県生まれ。3歳の時に父親の転勤により群馬県前橋市へ転居する。群馬大附属中-前橋高―慶応大。1978(昭和53)年、前橋高野球部主将として第50回選抜高校野球大会に出場、完全試合を達成する。リクルートに入社、就業部門ごとMBOで独立、ザイマックスとなる。同社取締役。長男は人気お笑いコンビ「真空ジェシカ」の川北茂澄さん。