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【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎12】
高校1年夏新チーム-1

2023.03.05

【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎12】
高校1年夏新チーム-1

14人の新チーム キレで勝負

明文化はされていなかったが、マエタカ野球部の公式休日は新チームスタート前日の1日と正月三が日の年間計4日間であった。それ以外にお盆休みが1日あったように思うが定かな記憶ではない。

新チームは1日の休日を挟んで以下の14人でのスタートとなった。

・投手 小出昌彦(2年・前橋五中)

・捕手 相澤雄司(1年・前橋四中)

・一塁 佐久間秀人(1年・前橋一中、中学時代は遊撃)

・二塁 中林毅(2年・群大附属中、副主将)

・三塁 堺晃彦(1年・伊勢崎殖蓮中、中学時代は遊撃)

・遊撃 安藤敏彦(2年・前橋一中、主将)

・左翼 松本稔(1年・伊勢崎二中、ピッチャー兼任)

・中堅 宮内武(2年・前橋四中、前年は三塁)

・右翼 樋澤一幸(2年・群大附属中)

・内野控え 田口淳彦(1年・群大附属中)

・外野控え 石井彰(1年・前橋五中)

柳沢仁(1年・前橋東中、中学時代は投手)

川北茂樹(1年・群大附属中、中学時代は一塁)

茂木慎司(1年・前橋三中)

こうして記すと内外野のコンバートが既に共通認識のもとに行われている。どこで言われたのかの記憶は定かではないが、新チーム開始時前後ではあっただろう。新チームの練習は基礎の徹底的なやり直しから始まったゆえにポジションの意識が薄かったことが曖昧な記憶の原因かもしれない。

新チーム編成のコンセプトは類推するしかないが、前年チームからのレギュラーをセンターラインに固め、いきのいい1年生を組み合わせて配したものだった。ほぼ全員が比較的小柄でキレと機敏さで勝負していくイメージだったのではなかろうか。

▲夏休み。太陽はいつもギラギラしていた

終わらない夏休みの練習

新チーム練習初日。真夏の照り付ける太陽のもと、練習開始時からOBの小平勲さんがおられ、川北は内心、何が始まるのか不安であった。というのも3年生から常々、「練習がきついって言ったって、俺たちにはもう夏休み練習がないもんなあ」。

「そうそう、お前たち1年にはまだ夏が2回もある。2回も」

「うわー、俺だったら2回もあったら死んじゃうなあ~!」と脅かされ続けていたからである。

ランニング開始時に改めて人数の少なさを再確認した。ランニングは3列縦隊なのだが全5列のみだった。ランニング、体操と進んでキャッチボールとなる際に集合が掛かった。

「キャッチボールは全ての基本。グラブの芯で捕り、相手の頭に返すこと」

ん、改まって…と思いながらキャッチボ―ルが始まり、徐々に距離が開いて遠投モードになった。また集合が掛かった。

「みんなの遠投キャッチボールはぜんっ然だめ。まず、高々と投げ上げるんじゃなくて、届かなくてもいいからライナーで投げなきゃ。それと、前進しながら半身で捕ったら軸足、踏み込み足の2ステップリズムですぐに投げるんネ。で、投げたら前進して前に出てきているのだからすぐに元の位置に戻らなきゃ。分かったね!」

で、遠投やり直し。お分かりだと思うが、この指示は前後にダッシュを繰り返しながら全力で投球し続けるということだ。相方も同様なのだから息つく間などない。

しかもいつもなら適当なタイミングで声が掛かって距離を詰めたベース間での速いキャッチボールに移るのだが、いつまでたっても声が掛からない。遠投が終わらない。長い。長いどころではない。もう遠投でヘロヘロである。

30分くらいやっていたと思う。そこで声が掛かった。ほっとしながら距離を詰めて、捕ってすぐに投げる速いベース間キャッチボールへ。そこでまた集合。

「ベース間キャッチボールほどテンポが大事だよ。テンポが。踵つくんじゃないよ。軸足を踏み出しながら芯で捕ってスナップスローだよ。やり直し」

「・・・・」

これが一定時間続いた。もう息は上がり尽くし、汗はほとばしり、のどはカラカラであった。

キャッチボール上がりでまた集合。新しいメニュー、バントトスバッティングを教えられた。2人1組のトスバッティングペアで、打者側が球を芯に当てるプッシュバントで返す格好だ。

投げる側には強めの投球が求められた。これは投げる方がきつかった。プッシュバントとはいえ前進して中腰の守備姿勢での捕球が必要で腰と下半身に疲労が溜まった。このメニューもいつまで続くのかと思い、頭がぼーっとしてきたところで上がり。かなりの時間を費やしていた。

再び集合。今度はトスバッティング。

「トスバッティングは基本45度のオープンスタンス。投球がアウトコースに来たイメージ。腰も入れて、強いワンバウンドで投げている人に打ち返すこと!いいね!」

トスバッティングもかなりの時間続いた。通常の練習であればトスバッティング終了まで練習開始から30分程度だと思うが、この日は2時間くらいかかっていたと思う。新チームスタート1週間はこの練習が続いた。

さらに、1日置きに校外ランニング走があった。5㌔から10㌔だったと思う。ある意味、校外ランニング走は精神的にはあまり負荷がなく、川北は心の休憩感覚でいけるかと思っていたが、真夏を甘く見すぎていた。

ランニングをしていて寒気を感じたのは生涯この時だけであった。ジリジリ照り付ける太陽の威力は凄まじく、右耳の後ろから左腰、左耳の後ろから右腰、体にエックス文字状に寒気が走り、冷や汗が出て、目の前が薄暗くなった。

隊列は組まず全員がまとまって無言で走っていたのだが誰一人リタイヤしない。自分が最初のリタイヤ者になるのは絶対に嫌で必死であった。

▲つかの間の休憩。水分を補給する

きつい練習ではあったが休憩時間はきっちりとられていた。顔を洗い、顔や腕にこびりついた汗の塩を流し、うがいをし、首から水をかけて頭を冷やし、若干の水分補給。

ぐちょぐちょのアンダーシャツを着替え、着ていたものを干した。干したアンダーシャツは練習終了時にはパリパリに渇いている程、太陽はギラついていた。

休憩となった瞬間の幸福感は半端なかったが、休憩時間の経過とともにだんだん下っ腹が重くなっていく感覚であった。練習再開の時間が近づいてくるからである。

3人で守るフリーバッティング

安藤主将の「そろそろ行くぞー!フリー、じゅう、にいー!」が掛かって、鉛のような体と心を奮い立たせるのだった。

フリーバッティングがまた大変であった。バッター、バッティングピッチャー、キャッチャー、次のバッター、の4人が2カ所、計8人がまず取とられる。すると、最大でも6人で守らなければならない。

2カ所のバッティングケージから打球は飛んでくるし、ピッチャーがボールを投じてバッターが打たないと、ケージ横のOBまたは顧問ノッカーからノックの打球も飛んでくる。

少しするとピッチャーがピッチング練習に入り、さらに2人が抜けるので4人となる。重ねて、過酷な真夏練習では怪我人や熱中症者も平均的に生じる。ややもするとグラウンド全体を3人で守り、かつノックを受けることとなるのである。

▲少人数のシートバッティングは守備が大変

こんな時に限ってノッカーの明らかなミスノックがあったりする。ミスノックとはいえ打球は捕りにいかざるを得ない。その時にケージからの打球が反対方向に飛んだりする。

「へいへいノッカー!(ふざけんな!へたくそノック!)」と大声で吠えながら果てしなく転がっていく球を追いかけたものである。

体感風景とでも言えるだろうか、白っぽいグラウンド、頭上の太陽による足元のみの影。首の後ろがジリジリと焼け、ユニフォームの下を汗が涌いて流れ伝う。

マエタカ野球部員に限らず、日本全国の球児たちの原風景でもあるだろう。金属バットの打球音が響くと反射的に体が動いて苦笑いをしてしまう。

かわきた・しげき

1960(昭和35)年、神奈川県生まれ。3歳の時に父親の転勤により群馬県前橋市へ転居する。群馬大附属中-前橋高―慶応大。1978(昭和53)年、前橋高野球部主将として第50回選抜高校野球大会に出場、完全試合を達成する。リクルートに入社、就業部門ごとMBOで独立、ザイマックスとなる。同社取締役。長男は人気お笑いコンビ「真空ジェシカ」の川北茂澄さん。