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聞きたい

【聞きたい藤本壮介×平田晃久4▶︎】
良きライバル、良き友人

2022.11.27

【聞きたい藤本壮介×平田晃久4▶︎】
良きライバル、良き友人

学生時代のWデートが藤本壮介さんと平田晃久さんの最初の出会いとか。以来、友人として深く付き合うようになり、互いに認め合い、刺激し合って日本を代表する建築家になりました。お互いをどうみているのでしょうか。

コンペの活躍が火を着ける

橋本 お二人はずっと良きライバルであり、友人ですが、付き合いはいつからですか。

平田 学生の時はほとんど知らなくて、何か東大に藤本君っていう面白い人がいるっていうくらいは聞いてたんですけど。会ったのは卒業の少し前かな。

藤本 まあ、人づてに(笑)。

平田 そう、人の縁がありまして、Wデートのようなのを1回やったことがあるんですよ(笑)。4人でご飯食べに行ったことがあって。

橋本 そうなんですか。歴史的な瞬間でしたね(笑)。ずっと一緒に歩んできて、互いの担当する建築のスケールもどんどん大きくなってきました。ブレイクスルーする瞬間も近くで見てきたと思います。

平田 僕が初めて会ったときには、彼は建築家の登竜門みたいな賞に入賞したりして、活躍し始めるような気配は漂わせていたんですよ。

でも、実際は毎日ぶらぶらしていて、自分が勤務していた伊東豊雄建築設計事務所に「ちょっと暇してるんだけど」って電話してきたりとか(笑)。

ある時、彼が青森の美術館のコンペに応募し、2等になったんですよ。「藤本壮介」という名前が出始めるようになったんですね。

▲藤本さんに影響されコンペに出るようになったと振り返る平田さん

橋本 友人の活躍は刺激になりましたか?

平田 そうですね。自分はまだ事務所の中にいましたが、僕もコンペやりたいって考えるようになり、フライング気味にコンペに出して入賞して、伊東さんに怒られたりしていましたね。

橋本 藤本さんが平田さんに火を着けたみたいなものですかね。藤本さんは平田さんのことをどう見てたいましたか。

建築の世界に繋ぎ止めてくれた

藤本 自分はコンペには出していたんだけど、基本的に建築の世界に接続できてない、不安な状態でした。それで、平田と飲みに行くと、彼が現代建築で最先端を走っていた伊東事務所で担当していた建築のアイディアをリアルタイムで、雑誌に載る前くらいから知ることができて。そこでさらに、平田の考えとかを聞けて、そこで僕も議論したりして。

そういう意味では、僕がギリギリ、建築の世界に繋ぎ止められていたのは平田のおかげでした。

▲建築の世界に繋ぎ止められたのは平田さんのおかげと感謝する藤本さん

橋本 お二人ともが独立して、どんどん成長していくわけですけど、互いの仕事をどう評価しますか。

藤本 僕がストーンと落とし込みたくなるとき、平田はそれをもう一回、茶碗をひっくり返したがるようなところがある。その執念っていうのはすごい。たぶん本能的にそうなっていく感じ。

執念深く根差す一貫性もありながら、一つにとどまらないっていうのが、平田の特長でしょうね。

橋本 平田さんはいかがです?

平田 藤本はね、直感でいままでやったことのないことをやることに躊躇がない。冒険心でいきりたってというよりもフワッとしてる感じ。おおらかというかね。解放されていく自由さというのが、彼の建築の明るさというか、そういうものを造っているような気がします。そこが人を惹きつけるんじゃないかな。ちょっと褒めすぎかな(笑)。

▲まえばしガレリアの内部の予想イラスト

藤本壮介(ふじもと・そうすけ)

1971年、北海道生まれ。東京大工学部建築学科卒。2000年に建築設計事務所を設立する。フランス・モンペリエ国際設計競技で最優秀賞に輝いたのを皮切りに、数々の国内外のコンテストを制している。県内では白井屋ホテルのリノベーションのほか、「T House」を設計。

平田晃久(ひらた・あきひさ)

1971年、大阪府生まれ。京都大大学院工学研究科修了。伊東豊雄建築設計事務所に勤務し、2005年に独立する。JIA新人賞、ベネチアビエンナーレ国際建築賞金獅子賞などを受賞。京都大教授。太田市美術館・図書館の設計で2022年日本建築学会賞の作品賞に輝いた。

橋本薫(はしもと・かおる)

1977年前橋市生まれ。「めぶく街づくり」に関わる様々な領域を繋ぎ、横断的に活動、前橋ビジョンを推進している。前橋まちなかエージェンシー代表理事。

▲対談する藤本さん(中)、平田さん(右)と進行役の橋本さん(左)