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聞きたい

【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎36】
高校2年秋4

2023.04.07

【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎36】
高校2年秋4

桐生高との名勝負始まる

準決勝のマエコウ(前橋工業高)の勝利で決勝進出となるのだが、実は秋季関東大会への出場権もこの勝利で確定させることができた。

この年の秋季関東大会は地元群馬での開催であった。しかも1年前は各県優勝校のみだったがこの年からは各県2校。さらに開催県の群馬県は3校の出場枠となっていた。2年続けての秋季関東大会出場となったのである。

「もしかしたら俺たち、強いのかな?」

「そんなわけないじゃん。勘違いしちゃあダメだよ。たまたまだよ」

「そうだよな~」

そんな会話を交わしていた。

10月12日、決勝戦。相手はトミオカ(富岡高)を下したキリタカ(桐生高)であった。

夏の練習試合で敗れているわれらがマエタカとしては挑戦者であるはずだった。一方、キリタカは前年秋の決勝戦の雪辱に燃えていた。エースとなっていた左腕、木暮洋の気合の入り方が半端でないことは彼の目線、立ち居振る舞いからも伝わってきた。

剛の木暮VS柔の松本

実際、この試合の木暮の投球には鬼気迫るものがあった。マエタカの打棒は2安打無四球、二塁を踏めなかった。唸るように切れ込んでくる速球、左打席の川北や相澤雄司が「ぶつかる!」と思って打席から逃げるほどの球がキュイーンと曲がるカーブでストライクになる。本当にお手上げであった。

まともに対峙できたのは松本稔だけだったのではないか。川北は何とかできないかとキリタカ捕手、間弓実のミットの構え位置を盗み見ようと試みたが、それも木暮に察知され、直ぐにバッテリーで共有されてしまった。もっともコースや球種がわかったところで打てる気はまるでしなかったが。

一方、われらが松本稔はキリタカの打者の気持ちの入れ込みをうまく利用して、打たせて取る投球で対抗していた。凄みを感じさせることはなかったが、逆に言うと究極の投球術ともいえた。こちらも何とか得点を許さずに進んだ。

▲奇襲戦法の2死からのセーフティークイズで先制した桐生高

中盤、キリタカは出塁した島田清を3塁まで進めた。打者は右打席に1番レフト、清水貴彦。清水は俊足で知られていた。スクイズを最大限警戒していたが、初球セーフティーバントでこられた。バット先端で上手く殺された打球が3塁線ライン沿いにコロコロと転がってくる。

猛烈にダッシュしたが、「切れる!」と川北は判断した。ファースト佐久間秀人の「取るな!」の声も聞こえた。が、コロコロとラインを超えそうだった打球が2㌢㍍程度のライン上の窪みに引っ掛かってインフィールド側にコロリと戻った。慌てて拾い上げたが、すでに島田は本塁を駆け抜けていた。

終盤にさらに追加点を取られ0対3。緊迫の試合はキリタカに軍配があがった。点差以上に試合内容では圧倒されていた感があった。

この後、キリタカとは何度も戦うことになるのだが、この時の木暮の投球がベストピッチだった。ゆったりした大きなモーションから唸るように切れ込むストレート。球がドッチボールのように大きく見えて迫って来て、ぶつかると思った瞬間にキャッチャーミットに吸い込まれてゆくカーブ。まったく打てる気がしなかった。

▲高校時代の木暮投手。移動の間にもサインを求められた

▲素顔を見せる松本投手。赤城山登山の休憩時間か

定期戦勝利で噴水ダイブ

この年の秋、マエタカは創立百年を迎えていた。ルーツは1877(明治10)年に設立された第十七番中学利根川学校である。公立高校としては最古の部類と言って良い。

群馬県内の県立普通科高校の多くはマエタカの分校であるらしかった。この年と翌年は各種の記念行事も行われ、岡本倉造校長はスピーチの時に翌年のNHK大河ドラマのタイトル『黄金の日々』にちなんで、「マエタカ黄金の年」とみなを煽って大喝采を浴びていた。

野球部のこの後の戦果、活躍もそうだが、他部の活躍や大学進学者数、東大合格者数に至るまで、この追い風を大いに受けて後押しされた結果であると思わざるを得なかった。気運、時の風、そんなものがあるのだろう。

秋の一大イベントであるタカタカとの定期戦。この年の最終決戦会場はタカタカであった。部活動の野球部対抗はすでにさらりとマエタカが勝利していた。タカタカには同学年に鈴木弘康という大柄なスラッガーがおり、サードを守る川北はいつも彼の強烈な打球を覚悟して身構えていたのだが、マエタカ戦においては不発であった。松本の投球術中にはまっていたのだろう。

定期戦の一般対抗、川北はこの年も駅伝競走選手であった。駅伝競走は高崎山にあるタカタカの周りを回る周回コース。アップダウンがある4㌔程度だったと記憶するがもっと距離が長く感じた。

前年はコースの地の利もありマエタカが圧勝していたが、この時は苦戦して敗れた。川北が襷を受け取った時点で見えていたタカタカ選手の背中が見えなくなってしまったのだった。

しかし、前年まで総合で連敗していたマエタカはこの年は踏ん張った。負け続けた綱引きは緊迫し、挙句になんと綱が切れて、勝負をつけられなかった。

そして、総合結果の発表。マエタカの勝利であった。入学してからの定期戦初めての総合勝利。ただただうれしく、前年はタカタカ生の歓声でかき消された定期戦実行委員長の挨拶時、タカタカ実行委員長の挨拶をかき消してやった。

マエタカ生はタカタカから勝利の余韻に浸りながら引き揚げた。電車で帰着してから前橋駅前ロータリーの噴水に、この年のマエタカ定期戦実行委員長Kさんが勝利を祝して飛び込んでしまい、駅前交番に連れていかれる一幕もあった。

この年の委員長も例年通り「人物」であり、決して軽はずみな行動をとる人ではなかった。恐らく、かつては勝利後に噴水飛び込むというのが慣例化した時期もあり、この時の群集心理から自分が飛び込まざるを得ない…。そんな覚悟の飛び込みであったと類推する。社会的責任って何だろうと考えさせられる出来事となった。

▲定期戦の勝利に酔いしれる前橋高校生。噴水に飛び込む者もいた

かわきた・しげき

1960(昭和35)年、神奈川県生まれ。3歳の時に父親の転勤により群馬県前橋市へ転居する。群馬大附属中-前橋高―慶応大。1978(昭和53)年、前橋高野球部主将として第50回選抜高校野球大会に出場、完全試合を達成する。リクルートに入社、就業部門ごとMBOで独立、ザイマックスとなる。同社取締役。長男は人気お笑いコンビ「真空ジェシカ」の川北茂澄さん。