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聞きたい

【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎16】
高校1年秋-1

2023.03.10

【昭和高校球児物語-前高 完全試合のキセキ-▶︎16】
高校1年秋-1

ヌードグラビアで英語を習う?

2学期が始まり久し振りに会う級友たちは長髪だったり、髭をのばしていたりとそれなりの自由な高校生に変貌していた。

1年5組の川北の座席は五十音順で廊下側2列目の一番後方。前の席にはラグビー部の椛沢和之、右斜め前にはバレー部の牛込佳基、左斜め前には陸上部の久保田大三と運動部だらけだった。

左隣が唯一、部活動に所属していない小池論だった。小池は前橋市内ではなく北西方向、榛名山の麓、榛東村から通学していた。冗談で「越境」「田舎」「遠距離」と言われていた。

実際、入学時には野球部員以上の坊主頭で言葉にもなまりがあった。一般的に「早くしろ」という場面で「早くしろやれ!」と大声で言っていた。

「うわーっ、出たっ。二重命令形っ!」

「二重命令形、二重命令形!」

「強めの命令か?反語的な二重か?」

みなで囃し立てると最初は真っ赤な顔をしていたが、それもいつしか慣れていった。

▲学校にヌードグラビアを持ち込めた時代。写真は同級生の写真家、故小原玲君が全国コンテストでグランプリを獲得した作品。モデルは田口

その小池は夏休み明けではお洒落な長髪ボーイになっていた。教室の後ろの方で、「なあ、なあ川北、あそこの無修正見たことある?」。口周りをだらしなく緩めた笑みで小池が言ってきた。

「…いや、ないよ。全然」

インターネットも携帯もない時代である。性に対する興味は凄くあったものの情報もツールも限られていた。

「親戚がアメリカに行って、向こうのプレイボーイをお土産でくれたんだよ。見たい?」

「お、おう。そりゃあ見たいよ」

「分かった。明日持ってくるよ。だけどこっそり見てくれよ」

「お、おう」

翌日。川北が朝教室に入ると小池が満面の笑みで迎えた。

「これ、これ」

小池の机の上に英語版プレイボーイがそっと置かれた。

あっという間に数人の頭の人垣ができた。頭と頭がぶつかり、擦れている。

「ちょっ、ちょっ、ちょっ、痛えよ。痛えよ」

頭と頭でゴリゴリと擦れる音がした。小池があらかじめ見せようと思っていたページがあったのだろう。ゆっくりとそのページを開いた。ラグビーのスクラムにボールが入った時のようにみなの頭がより密集し、一瞬の静止の後、弾かれたように頭の輪が一斉に開いた。

「ゲゲーッ!気持ち悪っ!」

「グロいよ。えーっ、こんななの!」

「えーっ!何かにお…」

みな、ショックを隠し切れなかった。夢見る田舎高校生たちが少し大人になった瞬間と言えただろう。クラス中が大騒ぎとなり、小池はプレイボーイを守るためにグラビアを持ったまま椅子の上に立った。そこに担任の内山武先生がホームルームにやってきた。

潮が引くようにみなが自席に戻り、小池が一人、ヌードグラビアを抱えたまま椅子の上に立っていた。

「どうしたー、お前たちー。小池ー、何かあるのかー」

「あの、あの…。海外の原書で勉強してます」

「そうかー、勉強し過ぎるなー。体によくないぞー」

互いに笑いをかみ殺しながらの淡々としたトーク。クラス全員がニヤニヤしていた。

▲完全試合を達成した比叡山高戦では田口の守備が光った

球友で級友 田口の悩み

この頃、1年5組の級友であり、群大附属中で3年間、クラスも野球部も一緒だった田口淳彦が不満を口にしてきた。

「なあ、なあ、どう思う?このまんま練習の道具みたいに扱われてていいの?」

何かそう言わせる原因になるような出来事も思い当たらず、本人に聞いても何かあったわけでもなさそうであった。

川北は中学時代からよく知る田口がマエタカ野球部に入部するとは思っておらず、勧誘したわけでもなかった。体も頑強とは言えず、肩も弱かったのだ。中学時代にも野球に対する思い入れはさほど感じなかった。

群大附属中野球部員はマエタカに9人入学していたが、軟式野球部に数人、サッカー部に1人進んだ程度。むしろ入部してきたことが意外でもあった。

親父さんの影響を比較的受けやすいことは知っていた。本人も親父さんの意向も踏まえて、野球部には中学の先輩、同輩がいるし、のほほんと一般の生徒として過ごすよりは伝統ある組織に加わっていれば得るものが…的なことを言っていたと記憶している。

現実として体力、技術、潜在力において部員内では最も厳しい存在であるとは自他ともに認識していたと思う。ただこの先の体の成長余地は最もあるとも思えた。そんな存在で過酷な夏の練習も何とか乗り切ったのになぜ今、急に不満を言うのか?

「ん~でも、今の力量じゃあ試合で貢献できないことは分かってるよね。俺にしたってそうだよ。それが事実、現実じゃん。試合で貢献できるための努力を続けてそうなれればよいし、そうなれなくても仕方ないじゃん。やってみなけりゃわかんないよ。頑張りの結果を保証して欲しいの?それは無理ってもんだよ」

「いや、そうじゃあないんだけど…。チャンスもないと言うか…」

「それはどうだろ。毎日みんながお互いを見てるわけで、力量レベル相応の扱いはされていると思うけどな」

「そうか…。カワキッちゃんは今に満足なん?辞める気はない?」

「う~ん、今そう決める気はないし、今そう決めるのはむしろ悔しいと思うけど」

▲福井商業高戦でもヒットを放った田口

結果的に田口とは中学高校の6年間のうち野球部で6年間、同じクラスで5年間を過ごすことになる。

性格も人柄も異なるのだが、お互いの存在自体が双方を支えあう格好になっていたと改めて思う。言いにくいこともお互いサラリと話していた。

このやり取り後、相変わらず愚痴は聞くことがあったが、不満を聞くことはなかったと思う。彼の中で何かが解決されたのかもしれない。

かわきた・しげき

1960(昭和35)年、神奈川県生まれ。3歳の時に父親の転勤により群馬県前橋市へ転居する。群馬大附属中-前橋高―慶応大。1978(昭和53)年、前橋高野球部主将として第50回選抜高校野球大会に出場、完全試合を達成する。リクルートに入社、就業部門ごとMBOで独立、ザイマックスとなる。同社取締役。長男は人気お笑いコンビ「真空ジェシカ」の川北茂澄さん。