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【聞きたい大沼山荘グループ代表 塩原勲さん▶︎】赤城山未来予想図Ⅱ

2022.08.02

【聞きたい大沼山荘グループ代表 塩原勲さん▶︎】赤城山未来予想図Ⅱ

「山頂全体をテーマパークに」

赤城山を象徴する観光スポット「大沼」。原生林に囲まれたカルデラ湖は四季を通して豊かな顔を見せる。眠りから覚めた春は山菜採り、涼やかな夏は自転車やランニング。登山は紅葉の秋、湖面が結氷する冬はワカサギ釣りを楽しめる。手つかずの自然を生かしつつ、体験型観光地として磨きをかけよう。湖畔の経営者たちが未来予想図を描く。

▲赤城山頂の未来を占いポーズを決める青木猛さん、塩原恭子さん、塩原勲さん、林智浩さん(左から)

「全山冷房中」最高の避暑地

―赤城山が最近、注目されてきました。

覚満淵を散策したり、レンゲツツジなどの高山植物を愛でる人に加え、最近はアウトドアも盛んになりました。登山客はブームもあって増えている。「山ガール」も見られますよ。それと、自転車やランニングを楽しむ人が多くなった。標高が1400㍍と高く、前橋市内に比べて気温が10度低い。市内が35度でも、ここは25度。まさに「全山冷房中」。真夏は最高の練習場所でしょう。

―冬もアクティビティがそろっています。

冬はワカサギ釣りとスキーですね。私が運営している赤城山第1スキー場は「日本一小さいスキー場」と謳っています。別に自虐ではありません。「小さい」というのは「安心安全」ということ。親御さんの目の届く範囲で雪遊びができます。

―赤城山が観光地としてにぎわうようになったのはいつごろからですか。

赤城山観光は登山鉄道の開通(1957年)が起爆剤になりました。それまでは、永らく山岳信仰の山であり、明治期は避暑地として文人墨客が訪れたり、大沼で大学のスケート部が合宿したりしたが、観光地という顔ではなかった。鉄道の赤城山頂駅は国の登録有形文化財です。レストランとして活用しています。

―最盛期に年間100万人いた観光客は減少し現在は半分程度。衰退の原因は?

バブルが弾けてから全国各地で同じような観光地が廃れていきました。赤城も同じ。飲食店では昔から同じメニューを出し、土産品も変わり映えしない。これじゃあ、ここに来ようなんて思う人はいない。当然の結果でしたね。

「やる気塾」で逆襲に転じる

―そこで、青木猛さんたちと「AKAGIやる気塾」を立ち上げたのですね。

2010年です。山頂の住民を中心に、群馬大の先生や学生にも仲間に入ってもらい、一緒に振興策を考えました。「赤城山に来る目的のない人にどんなに声を掛けても無理」「ターゲットに合わせた商品開発やサービスを提供しなさい」と教えられた。雷を落とされた感じだったね。行政に頼らず、自立しろとも。「頭文字D」のグッズや若い女性向けのスイーツを作ったり、イベントを企画しました。

―「やる気塾」の成果はありましたか。

「D」は売れましたね。最初に売り出したのはスリップ防止用の砂を受験のお守りにした「滑り止め」。「白樺クーヘン」は山頂のいろいろな店に置いてあり、新しい土産品として定着しています。

―情報発信も大事ですね。

やる気塾で始めたツイッターは3万人のフォロワーがいます。SNSは不特定多数の人に情報が届く、飛び道具ですね。「D」のグッズも発売当初はここの来ないと買えないようにしていたけど、転売されるようになってからネット販売を始めました。

―どんな未来予想図を描いていますか。

山頂全体をディズニーランドのようなテーマパークととらえ、1つ1つの施設や店がパーク内のパビリオンとして仲良くやっていけばいいと思う。商売の競争相手ではなく、同志のように協力しあえばいい。。一つの試みとして、ピザやスイーツ、ジュースバーなどの店を大沼から覚満淵に続く小道につなげる「覚満淵リバーサイドストリート」を計画しています。楽しく周遊することで、滞在時間を延ばし、にぎわいの創出につながると期待しています。

しおばら・いさお

1964年6月生まれ。富士見中赤城山分校―渋川高-同志社大。前橋市内のデパート勤務を経て、家業の飲食・宿泊業を継ぐ。