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聞きたい

【聞きたい北島勲さん2▶】
3本柱でコロナ危機乗り越える

2023.05.16

【聞きたい北島勲さん2▶】
3本柱でコロナ危機乗り越える

大学卒業後、雑誌の編集長として手腕を発揮した北島勲さん。40歳、不惑の歳に起業します。雑誌の編集から雑貨の販売、カフェの営業、イベントの企画・運営と手掛ける仕事の領域が広がっていきました。編集長時代から「3本柱」を大事にしてきたそうです。

自由な編集求め雑誌社から独立

―雑誌の編集長から独立します。起業の理由は何でしょう。

手掛けた雑誌はどれも、かなり自由にやらせてもらいました。「雑誌は編集長の私物にしなくてはいけない」と先輩から言われたことがあるのですが、その言葉を信じて、自分のカラーを出したつもりです。

でも、雑誌以外のこともやりたい、と40歳ちょうどで会社を辞めました。サラリーマンタイプではないので、よく40歳までもったなと思っています(笑)。

—仕事、経営は順調でしたか?

狛江市のアパートで本の編集を始め、隣の調布市の商店街にカフェを出したのが手紙舎の1号店でした。4年間は給与ゼロ。貯金を切り崩して生活しました。2012年に法人化したときの月給は確か15万円でした。

プロダクションから仕事を受け、編集をしたのですけど、思うような編集ができなかった。表紙の変更を求めたら『君たちに決める権限はない』と言われ、それをきっかけに、もう受注仕事はやめようと。

—それで、どうしたのですか。

カフェと雑貨、イベントに切り替えました。イベントは雑誌編集者時代から趣味でやっていました。お祭り好きなもので。

出展者から出店料を取り、わずかながらも利益が出たので事業になるんじゃないかと思った訳です。2012年に「東京蚤の市」を開き、出展料のほかに300円の入場料も設定しました。マルシェのイベントで入場料を取るケースは当時なく、「えっ、お金取るの」と苦情もありました。でも、2日間で7200人のお客さまが来場してくれました。

—新たなビジネスモデルですね。

手紙社の発明だったのかもしれない、といまになって思います(笑)。入場料1500円で3日間に5万人動員したイベントもあります。

もちろん、お客さんに満足してもらえるよう、出展者のレベルを上げるとともにライブやパフォーマンスも企画します。300円で高いと言われたのが1500円でも安いと言われるようになったのはうれしいですね。

—コロナ禍ではイベントも開けず、大変だったのでは?

2019年は1万人規模のイベントを13回開催しましたが、2022年は2回、21年はゼロ。

カフェも一時は営業ができなくなり、雑貨の販売はオンラインに舵取りしましたけど、最初は決して上手くいったとはいえなかった。6割方、倒産するかなと。

—どうやって窮地を脱したのですか。

編集者をしていたとき、常に意識したのが3つの特集を組むことでした。3つ目玉があって、人はやっと本を買ってくれます。

経営者になってからも自分の中で3つの柱があれば大丈夫ということが「お守り」みたいにあって、カフェ、雑貨、イベントを3本柱に打ちたてました。稼ぎ頭のイベントがだめになったけど、残りの2本の柱であるカフェと雑貨で何とかしのぐことができました。特に、雑貨をオンライン販売に切り替えたのが大きかったですね。

前橋で蚤の市 勝手に妄想

—前橋店はカフェと雑貨があります。イベントも期待します。

店の目の前は中央イベント広場です。「まえばし蚤の市」、やりたいですね。地元の作家と県外の作家が交流できるイベントができないか、勝手に妄想しています。

 

雑誌編集者から起業

きたじま・いさお 1967年、伊勢崎市生まれ。前橋高-成城大文芸部卒。映像制作、広告営業を経て、『自休自足』など雑誌3誌の編集長となる。2008年に独立してカフェの運営、雑貨の販売、イベントの企画を手掛ける手紙社を設立。12年に法人化。