interview

聞きたい

「鈴木貫太郎顕彰会」「ヒストリア前橋」の仕掛け人 
腰高博さんに聞く

2024.02.27

「鈴木貫太郎顕彰会」「ヒストリア前橋」の仕掛け人 
腰高博さんに聞く

4月、前橋の歴史を情報発信する2つの試みが始動する。1つは4月17日設立の「鈴木貫太郎顕彰会」。もうひとつは4月23日、アクエル前橋2階に開業する歴史エンタメ施設「ヒストリア前橋」。いずれも発起人はカラオケまねきねこの「コシダカホールディングス」社長の腰高博さんだ。前橋の歴史から学ぶこととは何か、腰高さんに話を聞いた。
(取材/阿部奈穂子)

沖縄店出店で知った貫太郎の偉大さ
全国に伝えたい

――なぜいま鈴木貫太郎に注目したのですか?

鈴木貫太郎は千葉県野田市生まれで、9歳のときに前橋市に移り住み、桃井小、旧制前橋中(現在の群馬県立前橋高)に通いました。

77歳で首相に就き、太平洋戦争を終戦に導いた。その事実を知る人は多いと思いますが、それがどれだけ、すごいことか、奇跡的なことかというのを身をもって知ったのは、15年前に沖縄にまねきねこの第一号店を出店し、沖縄に通うようになってからです。

5,6年前から出店が加速し、その都度、地元の人から歴史の話を聞いたり、戦跡を巡ったりしました。

▲まねきねこは沖縄県内に15店舗を構える

――そこで何を知ったのでしょう。

まねきねこの沖縄の店から見える場所で何千人もの人が亡くなったと知らされました。

それほど沖縄戦はすさまじかった。日本軍は死に物狂いで戦い、めちゃめちゃな状態になりましたが、一方でアメリカ軍もものすごい恐怖を持ったそうです。「こいつらは一体どういう人種なんだ」と。通常、戦争は国際法に則ってやるんですが、「もう国際法なんか関係ない。この民族は消滅させなきゃいけない」ぐらいの過激な意見が増えてきて、日本に原子爆弾が落とされた。

広島、長崎だけではなく、本土決戦になる前に、日本各地に原爆をどんどん落とすという準備もあったんです。

そういう状況の中で、鈴木貫太郎が終戦に導いた。彼の実績はいまの我々にとってものすごくありがたいことだというのを実感しました。そういう事実を前橋市民とか群馬県の人もあんまり知らないですよね。

▲前橋ゆかりの元首相、鈴木貫太郎

――知らなかったです。生まれ故郷の千葉県野田市には鈴木貫太郎記念館があるとか。

昨年5月、行ってみたんです。2019年の台風19号で被災し、展示物の被害を案じて休館中でした。よく調べてみると、建物自体の耐震不適格などいろいろあって建て替えの計画が持ち上がっていました。

「鈴木貫太郎顕彰会」の発足は、この建て替えに協力しなきゃいけないなと思ったのがスタートです。

――顕彰会のメンバーは何人? どんな活動を行うのですか?

メンバーは30人です。活動としては記念館復興の支援のほかに、資料も提供します。

また、ネットワーク作りにも力を入れていきます。野田市と前橋市以外にも足利市や大阪市などゆかりの地があるんです。そういう土地をつなぐのも、記念館の再建には必要不可欠だなあと。

そして最大の目標は鈴木貫太郎を主人公にしたNHK大河ドラマの放映ですね。

――大河になったらすごいですね。

戦争が絡むし、歴史認識の問題があるので、難しいとは思うんです。でも戦後80年ですから、そろそろその辺の再評価、再検討をしていかなきゃいけないと思います。

それ以前に、貫太郎の一生を描いたアニメを作ろうというアイデアも出ています。子供たちもわかりやすいですから。

▲終戦は奇跡と、貫太郎の決断を讃える腰高さん

4つの危機を民の力で乗り越えた
だからいまの前橋はある

――「ヒストリア前橋」について教えてください。

江戸時代が始まった1600年から現在までの約400年間の前橋の歴史を、映像を使い、物語として紹介する歴史エンタメ施設です。堅苦しくなく、子供でも楽しく地元の歴史を学べます。

まず入口を入ると、床に直径5㍍の前橋の空撮地図を描いたガイダンスゾーンがあります。スポットにスマホをかざすと、そこで何が起こったかの解説がスマホに表示されます。

▲ガイダンスゾーン

続いて12分間のテーマシアターにつながります。ここでは400年の間に前橋が直面した4つの危機を民力で乗り越えてきた歴史を、映像と、前橋出身の声優、田中敦子さんのナレーションで紹介します。

田中さんは猫の語り部という設定です。「前橋の役に立ちたい」と手弁当で協力してくださいました。

▲田中敦子さんが語り部に

▲テーマシアタ―。前橋空襲の場面

▲テーマシアタ―。利根川の氾濫で崩れる前橋城

――前橋の4つの歴史上の危機とは?

1つは利根川の浸食による前橋城の崩落、2つ目は明治政府の廃藩置県による前橋藩の消滅、3つ目は世界恐慌による製糸事業の操業停止、4つ目は前橋空襲で市街地の8割を喪失したことです。

――ほかにヒストリアにはどんな展示がありますか?

「華都と利根川」「県の都」「生糸の都」など5つのテーマ展示や、前橋市出身の歴史学者、今井清一氏を紹介するコーナーも設置し、関連の書籍を閲覧できる今井清一文庫も設けます。鈴木貫太郎顕彰会の事務局機能も置き、将来的には貫太郎の資料も展示していきたいと思っています。

▲テーマ展示。「華都と利根川」など5つに分類

▲今井清一文庫

――ヒストリアを作ろうと思ったきっかけは。

4年前、歴史学者の手島仁先生の文献を読んでいたら、4つの危機の話が出てきました。「それを民間の力によって克服してきたのが前橋の歴史だ」という文章が心に刺さりました。

地元のことって、地元の人は意外に知らないじゃないですか。後世にきちんと伝えなくちゃいけないと思いました。それを具体的な展示で知らしめる施設を作りたい、そこからのスタートですね。

最初は一般社団法人で立ち上げようと思ったのですが、なかなかハードルが高くて、腰高プロダクツの事業として民間100㌫でやろうということになりました。監修は手島先生にお願いしました。

――いまもシャッター街だった前橋を、民間の力で再興しようとしています。

歴史的にみても、前橋にはそういうDNAがあるんでしょうね。民が街のために力を注ぐという。伊達政宗や水戸黄門はいなかったけれど、民の大きな力があった。まさにいまの前橋も民間主導で街づくりをしていますね。

▲ヒストリアの全体像

――腰高さんは高校のときから歴史好きだったとか。

一番影響を受けたのは坂本竜馬かな。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」は10代、30代、60代と3回読んでいます。その都度、励まされています。

――ヒストリア、ぜひ多くの方に訪れてほしいですね。

私も63歳になりました。いままで自分のことしか考えてこなかったので(笑)、ある意味、社会への、前橋への恩返しの気持ちで取り組んでいる施設です。

歴史資料館というと堅苦しいイメージがありますが、ヒストリアはデジタル映像が中心のまさにエンタメ施設です。

日本の教育は戦前の歴史を封印していますが、若い人たちにはいまの日本を作った偉人について知ってほしい。そして生きていく上での勇気や目標にしてほしいなあと思っています。

▲3回読み返した「竜馬がゆく」