interview
聞きたい
【野村たかあきさんの思い出】
藤井浩さん追悼文
「でくの房主人が願ったこと(中)」
2023.11.09
『ばあちゃんのえんがわ』に続く2作目の絵本『やまのえき』(1985年、講談社)も、日常の風景に思いを寄せる姿勢は変わらない。
違っているのは、ごく普通に見えるけれども大事なものを、なんとしても守りたいという願いがより明確に、強くなっていることだ。
山あいにぽつんとある赤字ローカル線の駅と、帰省していた息子を見送るよねばあちゃんや孫たちの姿を描くこの絵本でも、特別な出来事は起こらない。
繰り返し描かれる駅周辺ののどかな景色やヤカンがのせられただるまストーブ、待合室のポスター、のんびりした雰囲気の駅構内を目にしていると、久しぶりに旧友に出会った時のように感じて、ほっとする。
廃線の危機にのどかな風景描く
言葉でもなく、物語でもなく
群馬県桐生市と栃木県日光市を結ぶ旧足尾線(現わたらせ渓谷鉄道)の神戸(ごうど)駅(群馬県みどり市東町神戸)をモデルにしたという。絵本の最後の見開きページにこんな言葉がある。
〈こんどのはるには、このえきに、もうれっしゃがとおらなくなるかもしれない〉
絵本を描いたころ、廃線の対象となっていた足尾線は存続の危機にあり、これに対して沿線自治体や住民らが特別乗車運動を繰り広げていた。野村さんは残ってほしいとの願いを込めて物語をこうしめくくった。
〈よねばあちゃんの、こどものころだったならば、やまのきつねやたぬきたちが、ちょっとばけて、おきゃくさんになって、にぎやかに、のってくれたかもしれないね〉
絵本が出て4年後の1989年、足尾線は第三セクターのわたらせ渓谷鉄道に引き継がれ、存続が決まった。豊かな自然の中を走る列車は今も運行を続けている。
あとがきで野村さんは、ローカル線の魅力をこうつづっている。
〈不便だけれど、のどかな旅情を誘います。そしてきまって、いい顔をしたおじいちゃん、おばあちゃんが乗りあわせています。バスや自動車にはないなにかが、鉄道にはあるような気がします〉と。さらに、控えめながら作品に込めた思いを次のような言葉にしている。
〈より合理的により便利になることは、たいへんいいことです。でも、そのために、人間的なあたたかさやゆとりまでも失ってしまうのなら、〝不便のほうがいいよ〟と、ときには思えるかもしれません〉
絵本のなかで何度も見返したくなるのページがある。上りの気動車が駅に着き、息子を乗せて走り去るまでの場面である。
人々と古い駅舎、後方に見える山の風景が、見開き6ページにわたって描かれている。そのあと、通過する貨物列車と駅舎を遠景でとらえた見開きの風景も続く。
どのページにも文字はない。が、言葉や物語では表せない圧倒的な豊かさを湛え、〈人間的なあたたかさやゆとり〉とはこういうものなのか、と気づかせてくれる。
ほのぼのとした世界に込めた危機意識
事件が起こらない世界にこそ感動がある
第13回絵本にっぽん賞(社団法人全国学校図書館協議会主催)を受けた1989年出版の『おじいちゃんのまち』(講談社)も、どのページを開いても〈あたたかさとゆとり〉を伝えるものであふれている。
一人暮らしのおじいちゃんのところに遊びに来た孫が、魚屋さんや八百屋さんに声をかけられたり、銭湯で楽しそうに過ごすおじいちゃんを見て、ひとりぼっちじゃないことを知る。
木版画によるまちのスケッチのなかでも、多くを占める銭湯の克明な描写がすばらしい。
歴史が刻まれた建物、湯気が立ち上る洗い場や湯舟でくつろぐおじさんや子供たちの姿を見ると、おじいちゃんにとってかけがえのない心安らぐ場所なのだということが自然にわかってくる。
穏やかな気持ちにさせてくれるこれら木版画一枚一枚を見ていて気づくのは、ほのぼのとした世界に込められた作者の強い危機意識だ。
ローカル線やまちなかの銭湯、商店など世間話ができる場所が、知らぬ間に次々と消えていく。そうした世の趨勢に抗う反骨心が野村さんの作品を支えていたに違いない。ただしそのメッセージを絵本のなかで声高に訴えたり、波乱万丈の物語で伝えようとはしていない。
発表した絵本に対して、ある人から「もっとドラマチックな内容にしたほうが感動を呼ぶのではないか」と言われたことがあった。しかし、事件などが起こらない、普通の生活のなかに感動がある、という思いは変わらず、揺らぐことはなかった。『おじいちゃんのまち』は1991年に英語版も出版された。
「変えてはならないことは変えないという、勇気と力をもたないといけないのではないか」
インタビューで聞いた野村さんらしい、忘れられない言葉だ。