watch
見たい
ありがとう、星野富弘さん
30日まで群馬大で追悼展
2024.08.19
今年4月28日に亡くなった詩画作家の星野富弘さんを偲ぶ作品展が、星野さんの母校、群馬大荒牧キャンパス内の群馬大中央図書館のギャラリーで30日まで開かれている。詩画作品や書籍のほか、星野さんと群馬大とを繋ぐ写真やグッズも展示されている。(取材/柁原妙子リポーター)
躍動する星野さんの姿と詩画作品
荒牧キャンパスに設けられたギャラリーには、春の花をモチーフにした詩画作品のほか、学生時代の星野さんが、ロッククライミングや吊り輪競技に勤しむ姿などを納めたモノクロの写真が11点飾られている。遺族から教育学部へ寄贈されたもので、元気に動いていた頃の星野さんの姿と、怪我をしてから生み出した詩画作品との対比を感じられる。
「たった2カ月の教員生活だったにも関わらず、生徒たちは自主的に星野さんのために千羽鶴を作ったり御百度参りをしたそうです。慕われる先生でした」と、今回の展示の企画に携わった群馬大総合情報メディアセンター学術企画係長の山内可菜さん。
2004年に制作された東村・とみひろトランプも興味深い。群馬大教育学部教授の田中麻里さんが富弘美術館建設検討委員会のメンバーになったことがきっかけで開かれた、当時の東村小中学生とのワークショップで作られた作品という。
2006年11月の群馬大学情報誌に載った星野さんと当時の学長との対談も掲示している。展示されている書籍は、利用カードを作成すれば学生以外でも借りることができる。
星野さんの思い出を買い求めたいという人は、群馬大オリジナルのたんぽぽとコスモスのクリアファイルがおすすめ。星野さんの筆による「群馬大学」の文字を入れて、5年前に作成された。荒牧キャンパスの大学生協と、群馬大医学部附属病院(以下、群馬大病院)内の売店アゼリアで販売されている。
爽やかな好青年
群馬大病院に入院中、担当医だった医師の白倉賢二さん(現群馬大名誉教授)に、星野さんの思い出を聞いた。
白倉さんは1975年、医師になってすぐの研修医の時に星野さんの担当医になった。「星野さんは人を悪く言うことがなかった。ケンカもしない。不平も愚痴も言わない、爽やかな青年だった」と振り返る。
星野さんが退院後、交流は一旦途絶えたが、20年ぶりに蕎麦屋でばったり出会い、連絡先を交換したところから再開。年に何度か手紙や電話で連絡を取り合う仲になった。「昭和キャンパスのハクモクレンが咲いたよ、などと伝えると見に来ることもありましたね」
前橋市中心街にあった紅蘭本店のラーメンが好きで、前橋の教会の日曜礼拝の帰りに必ず立ち寄っていたというエピソードも教えてくれた。
「星野さんは、冗談が好きで、上手に面白おかしく話をする人だった。晩年も、『50年この状態なのに、今さら手足が動くようになっても困る』と茶化すように話していました」と懐かしむ。
病院内にも常設展示
星野さんの作品は群馬大病院内でも見ることができる。
2012年、星野さんから群馬大病院へ、詩を1点と詩画のリトグラフを四季ごとに11点、合わせて45点が寄贈された。それをもとに、星野富弘「花の詩画コーナー」が作られ常設展示している。
年4回季節の変わり目にみどり市の富弘美術館の学芸員が展示替えを行っている。
追悼・星野富弘詩画展
日時 8月30日(金)まで 9時〜17時(24、25日は休館)
場所 群馬大学総合情報メディアセンター中央図書館(荒牧キャンパス内:荒牧町4-2)
問い合わせ 027-220-7185
入場無料
※車で来場の場合は、当日大学正門前守衛所にて入構許可証を申請
星野富弘
1946年、勢多郡東村(現みどり市)に生まれる。
1970年、群馬大学教育学部保健体育科を卒業。4月、高崎市立倉賀野中学校に赴任、6月、クラブ活動の指導中に事故で頚椎損傷、首から下の自由を失う。
1972年、群馬大学医学部附属病院に入院する中で、口で筆を咥えて文字や絵を描きはじめる。
1979年、前橋で初めての個展を開く。9月に自宅へ退院。
1981年、『愛、深き淵より。』出版。以降著書多数。国語、道徳の教科書に作品掲載多数。
1982年、高崎で「花の詩画展」開催、以降国内外で開催される。
1991年5月12日、勢多郡東村に村立富弘美術館開館。
2005年4月、富弘美術館新館が開館。同年6月、群馬県名誉県民。
2011年、群馬大学特別栄誉賞。
2024年4月28日、78歳で死去。